BLUE and BLAU and BLU

written by sonora





 僕の通う大学は、家から電車で30分のところにある。なかなか恵まれた位置だ。
 この大学は、僕の第一志望の学校ではなかったけれど、家から近いから、という理由で受験してみたのは、結果的にあたりだったと思う。

「お前はいいよな、ガッコが近くてさ」

 家から2時間かけて通ってくる僕の友達はいつもそう言う。

「だから俺、いつもさぼりたくなるんだよ」

 彼はそう言って笑うけど、それは家から近かろうが遠かろうが関係ないと僕は思う。
 いつもなら降りない、名前も知らない駅で途中下車した僕は、全く違う方面に向かう電車を待ってそれに乗り換えた・・・要はサボリだ。
 今日は2限と3限に必修授業が入っていたはずだけど、まぁ1回くらいの欠席ならどうにかなるだろう。
 電車はそこそこ込んでいたけど、なんとか空席を見つけた僕はそこに座って、すぐに眠りに落ちた。



 目が覚めると、電車はちょうど終点に着いたところだった。
 時計に目を落とすと、9時を少し回ったところ。1時間近く眠っていた計算になる。
 あーあ、1限始まっちゃったな。
 電車を乗り換えた時点で、すでにサボる気でいたのに、実際に授業が始まってしまうととたんに罪悪感が襲ってくるから不思議だ。
 半端に眠ったせいで頭が少し重い。
 頭にまとわりついたもやもやを払うように2、3度頭を振ると、僕はゆっくり電車を降りた。
 終点のその駅は、なかなかに都会の大きな駅だった。案内図を見てみると、僕の知らない路線が2本も出ている。
 さっき感じた罪悪感はとうに忘れていた。今日はとことんサボってやろうと適当に切符を買って、知らない路線の1つをチョイスして僕は電車に乗ってみた。
 その電車はやけにすいていた。『停車駅一覧』を見る限り、急行列車もないらしい。始発から終点まで全部で20駅足らずの小さなローカル線のようだった。
 しばらくして電車が走り出すと、すぐに都会の町並みはどこかへ吹き飛んでしまった。
 立ち並ぶ家。その合間合間には小さな田んぼやら畑が見える。静かでのどかな土地のようだった。
 僕の住んでいるところから電車で1時間ほど来ただけなのに、そこはまるで別世界のような、そんな気がした。
 きゃっきゃっと騒ぐ2歳くらいの男の子とその母親や、こっくりこっくりしているおばあさんを穏やかな気持ちでしばらく眺めていると、窓の外が何故かきらきらしているような感じがして、僕は降ろしてあった日よけを開けて外を見てみた。

「うわぁ・・・・」

 海だった。
 いつか写真で見た南国の海の色には遠く及ばなかったけど、それはきらきらしていて十分すぎるほど綺麗だった。
 どこまでも広がっていて、地の果てで空と交わっている濃紺のそれを見ていると、僕は中学生の頃、ひと時を一緒に過ごしたある女の子の瞳を思い出さずにはいられなかった。

「お兄さん、海は好きかい?」

「え?あ・・・えぇ、まぁ」

 僕がじっと海を見つめていたからだろう、隣に座っていた人のよさそうなおじいさんが僕にそう話し掛けてきた。

「こっちに来たのは、何か用事でもあるのかい?」

「いえ、そんなんじゃないですけど」

「それなら・・・あぁ、目的地が決まっていないんならの話しだが、海を見たければ次の駅で降りるといい」

「次・・ですか?」

「ああ。終点まで行っても海は見えるが、人が多過ぎて眺めるのには適さんよ。次の駅で降りて、少し歩けば広くはないが綺麗な浜がある。何も考えずに海を見たければそっちへ行ってみるんだな」

 そのおじいさんは目を細くして僕に語りつづけた。

「ここまで生きてきて2回も大きな災害に見舞われるとは思わんかったが、それでもこんな風に変わらんこともある。だから、人は生きていけるんだろうな」

 その台詞回しやしゃべり方から、なんとなく冬月副司令や加持さんを思い出した。
 大学をさぼったバツがこれか・・・あれはあまり思い出したくはない過去なのに。

『・・・〜駅ー、次は〜・・・』

「どうするんだい、お兄さん」

「ここで降りてみます、親切にどうも」

 乗りかかった船だ、ここであの女の子の瞳と同じ色をした海を眺めてやる。僕はそう思った。

「気をつけてな」

 僕は一度だけ深く頭を下げると、電車を降りた。



 磯の香、波の音。心地いい反面、僕はあの悪夢を思い出してすこしだけダークな気分になった。
 おじいさんに言われたとおりにしばらくあてもなく歩いてみる。

「ここ、かな?」

 確かに広くはない、それでも白い砂粒が綺麗な浜辺に僕はたどり着いた。
 まだ本格的な休暇に入っていないせいもあってか、人の気配はなく、作りかけの海の家のような建物がぽつんと立っているだけだった。
 目に付いた自販機でお茶を買うと、僕はその浜辺に降りてみた。
 よくよく考えたら、僕はここではかなり浮いた存在なんじゃないかと思う。
 黒いTシャツにジーンズをはいて、手にはプラスチックケースを持った僕。海で泳ぐでもなく、誰かを探すでもない。

「・・・・」

 それでも海が綺麗で僕は何も言えずにそこに突っ立っていた。
 うるさいくらいのセミの声。それに波の音と磯の香のする風。それから暑い熱気を生み出している太陽。それが今の僕を取り囲む全てだった。

「・・・歩いてみよう」

 突っ立っているだけだと本当に何も考えられないような気がして、僕は砂に足を取られながらも少しずつ歩き始めた。何を目指すわけでもなかったけど。



 少し歩くと、誰かが砂浜に腰を降ろしているのが見えた。
 遠目だからはっきり分からないけど、多分僕と同い年くらいの女性。クリームイエローのタンクトップに、白いズボンをはいて、大きな麦藁帽子をかぶっている。
 僕がはっとしたのは、その帽子から流れ出ている髪の毛が赤みを帯びた金色をしていると気付いたときだ。

「アスカ・・・?」

 まさか、そんなはずは・・・。心の中でその想像をかき消しながら、僕は足を進めた。
 麦藁帽子のせいで細かな表情は見えない。それでも、その横顔をはっきり見て、僕は自分の予想が当たっていたことを知った。
 そう、この海と同じ色の瞳を持った、かつての戦友であり同居人だったあの少女。
 アスカだった。
 アスカは物憂げに海を見ていた。あるいは空を見ているのかもしれない。体を抱えるようにして、彼女はそこに座っていた。
 その格好は、僕とアスカが最後に別れたあの海辺の時と同じだった。

『アンタのこと、絶対死んでも許さない』

 それが僕らの最後の会話だった。
 何で今さら出会ってしまったんだろう。僕には会う資格なんてないのに。
 気の利いた言葉なんて出てくるはずもなくて、かと言ってここまで来て逃げられるはずもない。ここで出会ったのは、何か縁と呼べるものがあったからだと思うから。

『逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ、逃げちゃダメだ』

 お約束のセリフを心の中で呟きながら、僕はアスカのすぐ右に立った。

「・・・海、好き?」

 アスカは唐突にそう言った。物憂げな表情とマッチする儚げで投げやりな口調だった。

「嫌いじゃないけど、好きでもない」

「何で?」

「嫌な思い出しかないから」

「そう。アタシもよ」

 僕の方を一度も見ることなく、アスカは淡々と僕に語りかけた。
 その口調から、彼女がすでに僕だと認識しているのか、そうではないのかは分かりかねた。

「誰か探してるの?」

「別に・・・ただ電車に乗ってたら、海が見えたからここに来たんだ」

「ふーん。暇人ね」

「大学生だけどね。君は何してるの?」

「ここは・・・日本はアタシのちょっとした思い出の土地だから、気晴らしに来たの。海は嫌な思い出しかないけど、それでもなんとなく眺めてみたくなってね」

「そう。今まではどこにいたの?」

「ドイツよ」

「日本にはいつ来たの?」

「14歳の頃」

「何しに?」

「・・・それはアンタも分かってるじゃない」

 それからアスカはやっと僕の方を向いた。さっきの物憂げな表情を崩してはいなかったけど、それはどうやら暑さからきているようだった。ほんの少しだけ頬が赤く染まっている。

「まさかここでアンタと会うとはね。アタシも予想してなかったわ」

「僕もだよ」

 ぱんぱんと砂を払うと、アスカは、僕の持っていたお茶を奪った。

「もらうわよ。喉からからでね」

「ぬるいと思うよ、それ」

「いいわよ、なんでも」

 あの頃はアスカの方が背が高かったのに、今は僕のほうが頭一つ大きくなっていることに、今気付いた。
 白くて綺麗な腕は、細くてか弱く見える。
 こんな女の子が、かつては巨大生物を敵として戦っていたのかと思うと、今さらながら腹が立った。

「何よ、じっと見つめちゃって」

「いや、何でもないよ」

「そう?」

 一気に飲み干してしまったのだろう、空になった空き缶を、アスカは手の中でもてあそんでいた。僕はそれをそっと奪い返す。ちょっと大人になった僕が見せる気遣い。

「それ、入ってないわよ」

「ゴミだろ。僕が持つからいいよ」

「・・・あら、無敵のシンジ様にそのような雑務を。申し訳ないですわねー」

「・・・それって、どう返せばいいのかな」

「さー?どうかしらね?」

 容姿こそ大人びていたけど、くるくる変わるその表情は、僕の知っているアスカそのものだった。
 その事実に僕は少しだけ安心した。

「アンタ、暇?」

「アスカ、さっき『暇人ね』って僕に言ったろ。そうだよ暇だよ。大学サボってここにいるんだから」

「そ。なら少し付き合いなさいよ」

「どこに?」

「とりあえずここじゃないところ。海沿いっていったってここは暑すぎるわよ。ホント、悔しいくらいここも変わらないわね」

「うん、そうだね」

 なにぶん知らない土地だったので、どこに何があるか全く知らなかったけど、僕はとりあえずアスカをつれて歩き出した。
 こんな風に会話できることに、内心驚きながら。



 アスカが『どこでもいい』と言ったので、僕は海から帰る途中で見つけた喫茶店を提案した。
 シックなクラシックをかけているその店は、繁盛しているわけでもなさそうだったけど、こぎれいで居心地が良かった。
 ブラウスにこげ茶色のスカートを着た店員にアイスティーを2つ注文すると、僕は改めてアスカを見つめた。
 あの頃よりも色が薄くなった髪。さすがにヘッドセットはつけていなかったけれど、髪形は昔とそう変わってもいなかった。そしてあの瞳。濃紺というよりは落ち着いた水色をしている。
 きっと、今の空の色とあの海の色を足したら、きっとこんな色なんだろうな、と僕は思った。

「だから何よ、さっきからじろじろ見ちゃってさ」

「いやぁ、ホントにアスカなんだなって思って」

「何よそれ、変なの」

「変でもいいさ。そう思ったんだから」

「そう」

 さっきの店員がアイスティーを2つ持ってきた。軽く会釈すると、僕はそれに口をつけた。そういえば、僕も喉がからからだったんだよな、と今さら思いながら。
 多分アスカに会えた事で、自分のことに全然気が廻らなかったんだと思った。

「アスカは今何してるの?」

「何って・・・ネルフドイツ支部で働いてるわよ」

「あ、そうなんだ」

「技術開発部第2課長よ、肩書きとしては」

「へぇ、すごいなあ」

「シンジだってネルフ行きは決まったようなもんでしょ?アタシ達チルドレンはそれくらい保証されて・・・まぁ、監視と同じ様なもんか」

「まぁ、僕も大学卒業したらそうなると思うけどね」

 特務機関ネルフ。6年前まではそう呼ばれていたけど、今は国連直属の技術開発のための機関になっているはずだ。
 僕らは6年前まで組織が保有していた『エヴァンゲリオン』という決戦兵器のパイロットとして勤務していた。アスカがこの年でドイツで働いているのも、僕が何もしなくても卒業後の進路が決まっているのも実はこの経歴によるところが大きい。

「今は休暇なの?」

「まぁ、そうね」

「ふーん」

「・・なんで日本に来たのかは訊かないの?」

「『ちょっとした思い出の土地だから、気晴らしに来たの』ってさっき自分で言ってたじゃないか」

「そうだけど、そこを突っ込んで聞くのがアンタの仕事でしょ?」

「そ、そうなの?」

「ふー・・。アンタ、変わったかと思ったけど、やっぱり変わらないわね」

「あ、ゴメン」

「・・・まぁいいわ。特別にアンタに話してあげるからきっちり聞くのよ!いーい?」

「うん」

「アタシ、こっちに帰ってこようかと思ってるのよ、実は」

「え?」

「ネルフ本部も随分人が足らないみたいじゃない?アタシなら日本語も話せるし、そこらのスタッフよりは全然使えるし・・・今回は下見ってとこね」

「そうなんだ」

 アスカはアイスティーを一口飲むと、それに・・・と続けた。

「いい加減、あの時のことは水に流してやろうと思ってね」

 さらっと言われたわりに、その一言は僕の心に突き刺さった。
 サードインパクト。公式資料では巨大隕石の衝突ってことになっているそれは、実は僕の父さんとSEELEという組織によって人為的に引き起こされた災害だった。
 そこで僕らの身に降りかかったことは敢えて言わないけど、想像も出来ないような辛い目にあったことだけは一応言っておく。
 詳しいことは僕にも曖昧で、覚えているのは僕らの考えつかないようなモノになってしまったもう1人のチルドレン・綾波レイのことと赤い海。そして、どうしようもない恐怖に刈られて僕が犯してしまった罪だけ。

『アンタのこと、絶対死んでも許さない』

 それが僕が犯した過ちに対するアスカの答えだった。

「で、でもアスカあの時・・・」

「言ったわよ、絶対死んでも許さないって。でもね、なんていうか、もういいの」

「もういいって・・・」

「・・・そうね、あれからドイツに戻って治療して、治ったらネルフに雇われて、がむしゃらにやっていたわ、アタシ。それでも、ふとした瞬間に思い出すのは、あの海でシンジがアタシにしたことじゃなくて、日本で体験した楽しい思い出ばっかりだったの」

「・・・うん」

「そりゃ、あの時は絶対許さないって、一生シンジを恨んで、憎んで・・・そうやって生きていくんだって思ってたけど、それって余りにもマイナス思考ばっかりじゃない。もうそういうのは止めたの。だって、それじゃ生きてて面白くないもの」

「でも、僕は・・・アスカに許してもらえる資格なんてないんだ」

 そう、僕がアスカにしてしまったことは余りにも大きすぎて、それに対する謝罪の術を僕は知らなくて・・・だから、アスカにそう言ってもらえる資格なんて、僕にはないんだ。

「シンジ・・・アンタさ、そういう内罰的なところ、少しは直そうと思わないわけ?」

「う・・」

「アタシがいいって言ってるんだからいいじゃない。文句ある?」

「でも・・・」

「『でも、だって』ってやめなさいよ・・・じゃあ、こうしましょ?もうアンタのしたこと忘れといてあげる。それでどう?」

「どうって・・・」

「もー、はっきりしないわね。それとも何?あの時みたいにアンタを拒絶してろって言いたいの?」

「そうじゃなくて・・・なんていうか、せめて僕に何かさせてよ」

「何か・・・ね」

 アスカは頬杖をついて少し考え始めた。あるいは、アスカのことだからもう答えは決まっていて、それをどう切り出そうかを考えているのかもしれない。それか、それはただのポーズでアスカなりの照れ隠しなのかも。
 何にしたって、僕は言われたことをやるつもりだった。何かさせてといったのは僕だし、無条件に許してもらえるのはフェアじゃない。
 許してもらえる資格がないとは言ったけど、やっぱり僕はアスカに許してもらいたい気持ちもあるから。

「・・・3回廻ってワン」

 アスカは頬杖をついたまま至極真面目な表情でそう言った。

「は?」

「『は?』じゃなくて。それやったら許す」

「えーっと・・・・」

 3回廻ってワンって、あれだよなぁ、犬みたいに四つんばいになってぐるぐる廻って・・・・ってぇえ!?

「それ・・・ここで?」

 いくらここが繁盛していなさそうだからって、お客さんもいれば店員もいるこんな場所でそんなことできるはずもない。僕はしばらくどうしたもんかと考えていた。

「ぷっ・・・あはははっ」

「?」

 突然アスカは吹き出した。

「シンジさぁ・・・アンタ、真面目すぎ!ははっ・・いくらなんでもそんなこと要求しないわよぉ」

「・・・」

 どうやら僕はからかわれたみたいだった。
 アスカはよっぽどおかしかったのか、おなかを抱えて苦しそうに笑っている。

「もっと力抜いて考えなさいよ、冗談よじょーだん!」

 しまいには「アンタ、生きてて楽しい?」とまで言われた。僕の知らない6年間でどうやら毒舌加減に磨きをかけたらしい。

「怒った?」

「いや・・・別に」

「顔が怒ってるわよ」

「こういう顔なんだよ」

「ふーん」

 すでに空になったコップを手でもてあそびながら、アスカはさも楽しそうに僕を見ている。
 それは6年前、まだ僕らの関係が悪くなる前に良く見せていた表情と似ていた。

「アンタさ、細かいとこにこだわるのやめなさいよ。いいじゃない、アタシが良いっていってるんだから」

「そうかもしれないけど・・・だって僕がしたことはホントならいくら謝っても―」

「ストップ。それ以上言わないで」

「・・ゴメン」

「許すとか許されるとか、そういうのやめにしましょ?」

「うん・・・」

「いちいち思い出してたらきりないわ、あんな思い出。アタシだってできれば忘れたいんだから」

「うん」

「それにね、アタシもうシンジのこと恨んでないし怒ってもいないし嫌いでもないのよ。もしまだそういう気持ちがあるんだったら、今ここでこんなこと話してないし」

「そう、だよね」

「そ。納得した?」

「なんとなく・・・」

「イマイチ煮え切らないわね・・・ま、アンタらしいけど」

「は、はは」

 それから、僕らは今までの6年間に話題を移して、何でもないようなことを話し合った。
 それは、今までの空白を埋めるような作業だと僕には思えた。



「じゃあ、またね」

「次はいつ来るの?」

「そんなに先の話じゃないと思うわ」

「そう」

「心配しなくったって決まったらシンジに連絡くらいするわよ」

「あ・・うん」

 僕らはあの喫茶店を出て、今は駅のホームにいる。
 何時間くらい語り合ったのかはっきりしないけど、気付いたら太陽があの海をオレンジ色に照らし始めていた。だから多分4、5時間はあの喫茶店に居座っていた計算になる。
 空も同じ様に綺麗なオレンジに染まっている。それはあの惨劇の後の赤い海に似ていたけど、それでも僕は、この海に来たときみたいにダークな気分にはならなかった。

「アスカ」

「何?」

「僕、ホントになにもしなくてもいいの?」

「またそれー?そんなに何かしたいわけ?ならいくらでも何かさせてあげるけど?」

「あ、いや・・そんなには・・・」

「ふふ、じょーだんだってば。でも・・・そうねぇ・・」

 いいことひらめいた、アスカはそんな顔をした。

「わかった!ドイツからこっちに来たら、アタシが何かいい案が浮かぶまで、アタシと一緒にいなさい!」

「・・?」

「それで、アタシが何かひらめいたら何かさせてあげるから。それでどう?」

「・・・そんなことでいいの?」

「もちろん」

「なら・・・うん。そうするよ」

「決まりね!」

「うん」

「逃げるんじゃないわよ?」

「もちろん」

 そこでちょうど僕が乗る電車がホームに入ってきた。
 アスカはここからタクシーで帰るというので、電車に乗るのは僕だけだ。

「じゃあね」

「またね」

 ドアが閉まり、するすると電車が動き出す。
 それでも大きく手を振るアスカは、すごく綺麗だった。



「僕・・・乗せられた?」

 しばらく今日のことを考えているうちに、僕はそんな結論に達した。
 アスカが何か思いつくまで・・・という条件を逆手に取ると、アスカが何か思いつかない限り、僕はずーっと一緒にいるということになるからだ。

「うまいなぁ」

 人事のように僕は呟いた。
 きっと僕はこの先一生アスカには敵わないだろうと思う。今までだって、口では一回も勝てなかったのだから。
 時間を確認しようとすると、ケータイにメールが入っていた。

『シンジ、お前大丈夫か?具合悪いんだろ、お前が大学こないってことはさ』

 あの友人からのメールだった。
 どうやら本気で心配してくれているのは分かるんだけど、何故かそれがおかしくて、僕はついつい顔を緩ませた。

『今日はサボリだったんだ』

 そう送ったらすぐに返信が届いた。

『何だよ、心配して損したな。で、何したんだ?』

『海で思い出を見つけた』

『お前・・詩人みたいだな』

 ディスプレイを見ながら笑っている友人の顔を、僕は簡単に想像することが出来た。
 明日、どうやって説明しようか考えながら、僕はまた静かな眠りに落ちたのだった。



モドル