何も知らないままで。 「碇って第三新東京にいったんだってよ」

「うそ、何でまた? あそこってなんかいろいろヤバいんじゃなかったっけ?」

「知らないけど、とにかく行き先はあってるよ。俺そう訊いたもん」

「へぇ。でも急に転校することないのにね」

「そーだよな。急にいなくなんなくたっていーじゃんな」

「まぁでも、お別れの挨拶があった人もいるかもね」

噂好きのクラスメートが私の方に視線を飛ばしていることは分かってた。中学生ってだから嫌だ、と心から思ったのはその時が初めてだった。

私と碇くんはそういう関係じゃない。ただの友達なんだから。

そうやって抗議してみたってからかわれることは目に見えてた。
だから私はなんでもないような顔をして席についていた。



の空の下で。―SECHS MOMENTS MUSICAUX,D780―
written by sonora



そんなこんなで、最初こそ彼の転校は噂になっていたけれど、すぐにその火は消えた。彼が元々目立つタイプじゃなかったことが幸いしたんだと思う。
もちろん、仲が良かった友達には何度か「良かったの?」なんて訊かれたりしたけど。

「何が悪いの?」

逆にそう尋ねたら、向こうも反応に困ってたっけ。
そんなこんなで、中学3年にあがる頃にはそんなこと忘れてしまった人が大半だった。私だっていつも意識していたわけじゃなかったから、そんなこともあったっけ、なんてときどき思い出すだけだった。
でもそれが当たり前だと思うし、それでいいと思う。何度も言うけど、私も碇くんもお互いに特別な感情なんて持っていなかったのだから。



中学3年になろうか、という頃、進路指導がとたんに厳しくなった。うちの中学は公立だったけど、有名大学の付属高に卒業生を何名も送り出すことで有名だった。

「頑張って勉強していい高校へ」

先生はそう言っていたけど、それって結局は学校のためなんだろうな、と私はいつも思っていた。
そんな私が志望校に選んだのは、音楽大学の付属高校だった。
はっきり言って、演奏も成績も今のままじゃ合格は厳しい位置に私はいた。それでもそこを選んだのには理由がある。

もしかしたら、碇くんとまた会えるかもしれない。

会いたい。はっきりそう思っていたわけじゃない。ただ、もう一度会えたら嬉しい、もう一度あのチェロが聴けたらいいな、という漠然とした気持ちはあった。彼は中2であれだけの演奏をしていた。それなら音高も音大でもきっと夢ではないと思っていた。
その頃の思い出なんて時期外れの体育祭以外に楽しかったことなんてない。私はそれだけがむしゃらに突っ走った。もう一度会えるように。もう一度演奏を聴けるように。
碇くんが音高や音大に行くとは限らないのに、当時の私はその『もう一度』という思いを抱いていた。



そして『アレ』は起こった。



未曾有の大災害、サードインパクト。
正直言って何が起こったのか私には分からなかった。大きな地震のようなものがきて、体が真っ白な誰かの幻を見た瞬間に意識は途切れ、次に目を覚ましたら、周りはぐしゃぐしゃになっていた。建物の影もなく、何かの破片とぐにゃりと曲がった電柱とぼこぼこになった道路に囲まれ、私は1人横たわっていた。
後からラジオで『この災害の原因は、大質量の隕石の落下によるものだ』との報道があった。そしてサードインパクトという呼称もそこで初めて使われた。
でも私にはどうでも良かった。ただ分かっていたのは、まともな高校生活は送れないだろう、ということだった。
そのラジオを聴いたとき、何だか妙に悔しくて哀しくて全力で泣いてしまったことだけは、今でも覚えている。



『アレ』から5年。
お母さんと、4歳下の弟はついに還ってこなかった。多分どこかで埋もれてしまって助からなかったんだろう。失った悲しみはもちろんあるけれども、何だか漠然としていて良く分からない、というのが正直な感想だ。
当時の私の読みどおり、私は音高へは進めなかった。間に合わせの教材と施設で、寄せ集めの先生やクラスメートと必死になって生きた。それが私の高校生活。
まともにピアノに触れないでいたら(実際ピアノなんてなかったのだけど)指が動かなくなっていた。中2の頃スラスラ弾けた曲も多分もう弾けないだろう。私はあの災害にいろんなものを奪われた。進学のチャンスも私の音も家族も青春も。
ただ1つ忘れていないのは、中2のときクラスメートだった彼のこと。
彼は無事だっただろうか、今何をしてるんだろうか、まだチェロをやってるんだろうか。
ぼーっとしているときはそんなことを考えて過ごした。



「大学?」

「そうだ。行く気はないか?」

担任に進学を打診されたのは、高3の夏だった。

「そろそろ自分のことを考えてもいいんじゃないかと思ってな」

「まぁ、いけたらいいな、とは思うんですけど」

先生は遠まわしに大学へ行け、と私に言った。どんな考えで私みたいな生徒にそう力説するのか分かりかねたけど、多分先生なりの優しさがあったんだと思う。
そんなこともあって、私は進学することに決めた。目標は第二東大。何せあの『セカンドインパクト』『サードインパクト』を耐え抜いて残った大学だ。単純思考な私があこがれても不思議じゃない。
周りのクラスメートと励ましあいながら受験まで必死に勉強した。

『受験前に今度はフォースインパクトが来ちゃったらどうする?』

そんなブラックジョークが仲間内で流行った。



そんなこんなで私は今第二東大のキャンパスに立っている。学部は文学部、学科は比較文学科だ。
ちなみに、1年浪人したから周りの1年生より1つ年上だ。サードインパクトで子どもの数が減ったとはいえ、この大学の人気はすさまじかったから仕方ないけれども。
大学と高校は、システムが全然違う。自分で動かなければ何も分からない。休講のこととか、教室変更とか、必要な書類の提出日とか。そういうところは面白いけど、一応クラスという括りもあるんだからその時に教えてくれたっていいのに、と思う私はどこまでもめんどくさがりやだ。

「次はA−304か」

教室を確認して私はA棟に向かう。次は教養科目の心理学の授業だ。これで今日の授業はおしまい。しかもこの授業は出席カードさえ出せば寝ていても問題ない。だから私は、カードを出したらそのまま家に帰ろうと思っていた。
教室に行くと、半分以上席は埋まっていた。とりあえず手近なところに席をとり、教授が来るのを待つ。

「誰かいないかな・・・」

そう呟いては見るものの、200人くらいが入りそうな大教室で知り合いを見つけるのはなかなか難しい。
1年から4年までが入り乱れているし、私は視力が悪い。

「あの、すいません。ここって心理学の教室ですよね?」

そう声をかけられたのは、始業のチャイムが鳴る直前だった。
私は特に顔を見ずに答える。

「そうですよ」

「そうですか、良かったあってた」

「あ、席詰めます?」

私の隣は2つ分空いていたからとりあえず荷物を避けて立ち上がり、どうぞ、と顔を上げたところでようやく気づいた。
声をかけてきた男の子が、碇くんそっくりだと言うことに。
彼はにこりと笑っていた。

「・・分かる?」

「もしかして・・碇、くん・・・?」

「あー良かった。覚えててくれて。もう5年くらいずっと会ってないから忘れられたと思ってたよ」

すごくびっくりした。
知り合いとも会えないような教室で、まさか彼と再会するなんて。

「まさかこんなところで会うと思わなかったなぁ」

「う、うん・・・私もびっくりした」

「でも知り合いがいてよかった。この授業取ってる友達いなくてさ」

「あ、そうなんだ」

そう答えると同時にチャイムが鳴り、教授が部屋へ入ってきた。時間には恐ろしく正確な教授。その姿を目で確認しつつ、私は思い切って彼に言ってみた。

「カード出したらさ、ここ出ない?」

「えっ?」

「この授業、カード出したらそれでOKなんだ。だからカード出して帰ろうと思ってたんだけどさ」

「僕もこのあと授業はないけど」

「ならちょっと話そうよ。積もる話ってやつ」

碇くんは1度時計をちらりと見て、それから言った。

「いいよ」



碇くんは、工学部情報工学科の2年だった。私は1年だから一応先輩ということになる。

「工学部ってキャンパス違うんじゃなかったっけ?」

「それは3年からだよ」

「そうなんだ」

カフェテリアでコーヒーを飲みながら私たちは向き合って座っている。
碇くんはすごく背が伸びた。

「そりゃ伸びるよ。最後に会ったの中2のときだからね」

「あのとき、私と同じくらいしかなかったよね?」

「うん。あれから20センチくらい伸びたよ」

「やっぱり男の子だよね」

「当たり前だろ?」

「ふふ、そうだよね」

私たちは、授業のことやドラマのこと、最近読んだ小説のこと・・・そんなことを話し続けた。
碇くんはずっと微笑んでいた。だけど、私が何気なくあの大災害のことを口に出すと、その顔が途端にこわばった。

「サードインパクトがなかったらねぇ・・・」

「・・・え?」

「私さ、あれからいろいろ考えて音大の付属に行こうと思ってたんだけど、あんなことになっちゃったからいけなくてさ」

「・・・」

「結局諦めたけど、でももしサード「その話はやめてくれよ」

「え・・あ」

碇くんの顔からはさっきまでの穏やかな表情が消えていた。

「あ・・はは、ごめんごめん」

慌てて場を繕おうと笑ってはみたものの、その空気まで変えることはできなかった。
とりあえず笑いをひっこめてどうしようか考えようとしたとき、後ろの方から声がした。

「なんだ、こんなところにいたの」

2人同時に振り返ると、そこにはどことなく東洋の雰囲気を持ち合わせた金髪碧眼の女の子が立っていた。

「あ、アスカ・・・」

「もー。授業終わったらA棟の入り口で待ってるっていったくせに何でこんなとこにいるわけ?」

「あ・・ゴメン。連絡忘れてた」

「何が『忘れてた』よ、全く」

アスカ、と呼ばれたその人は日本語がすごく上手だった。何だか不思議な感じ、と思った。
彼女は待ち合わせをしていたらしい碇くんにひとしきり文句を言うと、それから初めて私に目線を向けた。青い目が『誰?』と言っている。
自己紹介でもしようか、と思ったときに、先に碇くんが答えてくれた。

「あ、この子は一中の前にいた学校のクラスメート」

「あぁ・・道理で知らないわけだわ。高校か一中の時のクラスメートなのかと思ったけど」

「どうも初めまして」

「ん、どうも。アタシは惣流・アスカ・ラングレー」

「あの・・日本語がお上手ですね」

「中2から日本にいるから。それまではドイツにいたけど、一応ママも日本人とドイツ人のハーフだったし」

「あ、そうなんですか」

正直、マズいと思った。惣流さんは微笑んではいるけど、私に対する答え方もそっけないし何より目が笑ってない。
2人って付き合ってるんだろうな。そう結論付けた私は急いで仕度をすると席を立った。

「ゴメン碇くん。私帰るね」

「あ・・うん」

「さっきはごめん。じゃー、また今度ね!」

また今度があるかどうかは分からなかったけど、私はそう言うとくるりと背を向けてカフェテリアを飛び出した。

建物を出るまでは歩いていた。
大学の敷地を出た頃には早足になっていた。
駅までの10分の道のりは、いつの間にか小走りになっていた。何故そうしたかは自分でも良く分からない。
駅に飛び込んで、一息つく。私の心臓は必要以上に早いリズムを刻んでいた。

「・・・ふぅ」

ため息のような、深呼吸のような呟きを漏らしたとき、ホームに電車が滑り込んできた。



「・・・で?」

「で? って?」

「言い訳くらいなら聞いてあげるわよ?」

「えっと・・・何の? あ、連絡しなかったこと?」

「違うわよバカ! あの女と会ったことについてに決まってんでしょ!?」

「あ・・だから授業でたまたま会ったから、話そうってことになって」

「はーん。そう。そのわりには深刻な顔してたじゃないの。正直に言っちゃったほうが身のためよ? まさかアンタに親しい女友達がいるなんて思わなかったけど?」

「いや、だからホントにあの子は転校前の中学の友達で・・あの時は・・・話題がアレの話になったから」

「アレって、サードインパクト?」

「うん・・・」

「・・・まだ責任感じてるんだ、シンジ」

「他の人にしたらわけの分からない災害だったけどさ、僕はやっぱり軸になった人間だし」

「『僕』って1人で背負わないで。アタシもいるわ」

「アスカ・・」

「・・・あの話を簡単に出されると、ちょっと複雑な気分ね」

「うん・・・」

「ったく、そんな泣きそうな顔するんじゃないわよ。1人の責任じゃないって言ったばかりじゃない、このバカシンジ」



家に帰って私はもう一度考えた。
碇くん。下の名前はシンジ。チェロが弾ける男の子。クラスではあんまり目立つタイプじゃなかった。スポーツも勉強もそこそこいいとこいってたけど、クラスの女子の評価は高くなかった。
転校してしまう前の日、碇くんはチェロを聴かせてくれた。私のつたないピアノを聴いてくれた。上手だと誉めてくれた。その時微笑んだ顔は可愛いとかっこいいの中間くらいだった。子犬みたいな目をしていた。
再会した彼はカッコよくなってた。情報工学を専攻している2年生。惣流さんという彼女もいる。いつの間にかたくましい男の目に変わっていた。
サードインパクトの話を何気なく持ち出したときの顔は、何かに追い詰められているような顔だった。
何だか胸の奥がもやもやする。何だろうコレ・・・私には分からない。
再会できて嬉しいと思う。だけど、何かが物足りない。そしてその『何か』が分からない。

「・・あー・・・もう」

頭を掻き毟りたい衝動に駆られたけど、そんなことしても何も分からないに決まってる。だからはねている毛先を撫で付けるだけにしておいた。それから何気なくテーブルの上にあった今日の新聞を見て、絶句した。

「えっ・・」

『サードインパクトの真実』
2015年に起きた未曾有の大災害、通称『サードインパクト』はこれまで、大質量隕石の落下によるものと報じられてきた。しかしそのサードインパクトについて、今年になって新たな事実が浮かび上がってきた。あの災害は人為的にもたらされたものだというのである。
詳細は明らかにされていないが、あの災害には当時第3新東京市にあった「特務機関ネルフ」(現:国連技術開発機構ネルフ、所在地松代)が大きく関わったとされている。また驚くべきことに、その中心には当時まだ中学生であった少年と少女2人も関わったとの情報もある。この件について、技術開発機構ネルフ所長の冬月コウゾウ氏(当時の特務機関ネルフ副司令)は「現在流れている情報は真実ではなく、そのような事実はない」と述べるに留め、それ以上のコメントは得られていない。
サードインパクトは、1945年に終結した第2次世界大戦よりもはるかに多くの死者や行方不明者を出した。<関連記事・6面>


サードインパクト、第3新東京市、当時中学生の少年。
まさか、と思う。
第3新東京市は当時、首都移転の計画されていた場所だ。中学校だって何校もあっただろう。だからたったそれだけのキーワードで彼に結びつけるのは単純すぎる。
でも何か胸騒ぎがするのは確かだ。私はあまり勘は当たらないほうだし、第一バカげていると思う。
だけど。

「碇くん・・・じゃ、ないよね?」

私は呟いた。
何だか、とても怖かった。








サブタイトルは曲名。あんまり関係ないけどこの話のイメージとでも思ってもらえれば。

モドル