
この世界にいるとめんどうなんだよ、いろいろとね。
紫の空の下で。―THE HEART ASKS PLESURE FIRST―
written by sonora
「今日の夕飯は?」
「どうしようかなぁ、冷やし中華でも作ろうかと思ってるんだけど」
「あ、いいわねそれ。今日も暑かったし」
「だろ?」
「うん、じゃあ今日もご飯食べに行くから」
「分かってるよ」
同じアパートの同じ階、僕の部屋の隣にアスカは住んでいる。今の大学に合格したとき、冬月副司令が―今はもう副司令じゃないけど、こう呼ぶのが一番しっくりくる―餞別代わりに見つけてくれた。
「1人の空間も必要だと思ってな」
そんなことも言っていた。確かにそれは正しい。僕らの関係は出会った頃から曖昧なバランスで保たれていた。ほんの少し傾いてしまえばそれで崩れてしまう。多分僕もアスカも、根本的なところで似すぎているからだろう。
そんなわけで、今はお互いの家を行き来している状態だ。アスカは来たくなければ来ないし、僕も必要があるときだけアスカの部屋に行く。大抵はレポート提出前とか、掃除を頼まれたときだけだけども。
「何時くらい?」
「いつもと同じくらいでいいよ。あんまり手間はかからないと思うしさ」
「OK,じゃああとで」
「うん」
手を振って別れ、それぞれの部屋に戻る。
僕の部屋には基本的に物が少ない。最低限暮らしていけるだけの物だけだ。やたらと多いのはアスカが持ち込んでくる食器やらマグカップだけだと思う。
薄っぺらいカバンをベッドの上に放り投げ、動きやすいジャージに着替える。それから夕飯の仕度を始めた。
ドンドンドン!
と、ドアが乱暴に叩かれたのは薄焼きタマゴを焼いているときだった。
こんな風にドアを叩くのはアスカだけだ。僕は、あいてるよー、と答え、目の前のタマゴを綺麗に焼くことだけに集中する。
「ちょっとシンジ!」
「早かったね。まだ出来てないよ」
「そんなことより! ねぇこれ!」
ぐいっと肩を掴まれ強引に振り向かされて、目の前に出されたのは新聞だった。
「なんだ新聞か。何か事件でもあったの?」
「バカ!! ちゃんとここみてよ!」
アスカの様子がいつもと違うことにようやく気づいた僕は火を止め新聞を受け取って、指差された場所を読んでみた。
『サードインパクトの真実』
「・・・まさか」
「アタシたちのこと、バレてるのかもしれないわ」
横を向いて、アスカははき捨てるようにそう言った。
内容はこうだ。
サードインパクトは人為的に引き起こされた災害で、ネルフ、そして当時中学生だった少年少女が関わっている可能性もある。
書かれていたのはまぎれもない真実だ。ごくごく少数の人だけが知っている、最悪の真実。
「これは・・・」
「どうしよう、シンジ」
アスカは言った。真っ直ぐに僕を見つめる瞳の青が不安げに揺れていた。
僕らのことや補完計画のことは、縮小されたネルフになった後でも最重要機密扱いのはずだ。真実を知っている人は少ないし、やすやすと手に入る情報ではない。だから早々簡単に外に漏れることはないはず・・・副司令はそう言っていた。
それが漏れ出している、ということは、つまり・・・。
「アタシたち、もうここにはいられないかもしれない・・・」
そういうことだ。最悪、あの時ネルフに関わっていた誰かが情報をリークしている可能性もある。となれば、どんなに情報操作をしたところで真実がバレてしまうのは時間の問題だ。
「アスカ、落ち着いて」
「やっと解放されたと思ったのに・・・」
悔しそうに唇を噛んだアスカはそう言ってずるずるとしゃがみこんでしまった。僕も合わせてしゃがみ目線を合わせる。
こんなときに言える言葉なんて何にも持ち合わせていないけど、それでも僕はなんとか言葉をひねり出した。
「とりあえず副司令からの連絡を待とう。それから考えたって遅くないから・・・ね?」
アスカは小さく頷いた。
ふと、痛々しい傷跡が目に入る。うっすら赤い蚯蚓腫れ。
サードインパクト・・・正確にはそれが起こる直前の戦いのせいで残ってしまった傷。ゆっくりと治療を進めれば完全に消えるらしいけれども、今はまだ傷があるのが分かる。
同じような傷は腹部にもあるのだとアスカは言っていた。それに左目は、アレ以来視力が落ちてしまっている。今はコンタクトで凌げる程度に回復したけれど、これ以上の回復は難しいらしい。
こんなこと僕が言っちゃいけないのかもしれない。だけどある意味ではこれも真実だと思う。
僕らは加害者で、だけどその前に被害者だ。
空しさと悔しさで胸が一杯になってしまったとき、場違いなほど元気良く電話が鳴った。
「やっぱりね」
アスカに電話の内容を伝えると、開き直ったかのように彼女はそう答えた。
「ま、プライバシーひっかき回されるよりはマシってとこね」
「うん」
「でもやだな。せっかく大学に入ったってのに」
「そうだね」
ネルフとは関係のない第三国への極秘亡命。
それが、今の僕らに与えられた指示だ。
『もしも君達のことが完全に明らかにされてしまった場合、個人情報だけではなく、エヴァのことや補完計画のことまで洗いざらい広まってしまうことになるだろう。それはなんとしても避けたい。まぁもちろん、君達のことも守らなければならんがね』
さっきの電話で副司令はそう言っていた。そして1つため息をつき、続けた。
『ユイ君も碇も、息子の君には迷惑をかけ通しだな・・・いや、それは私もか。すまない、年寄りの戯言だ。忘れてくれ・・・』
妙に寂しそうな、そして申し訳なさそうな弱々しい声だな、と思った。
僕はアスカにホットミルクを渡して、さっきの電話の内容をアスカに伝えた。
「一応、今月末には日本を発つことになったって。それから先はまだ分からない」
「そう・・・楽しかった日々もこれでおしまい、か」
「う、ん・・」
気まずい沈黙が僕らの間に流れる。
アスカは、楽しかった日々、と言った。確かに、サードインパクト以降はそれなりに平和な日々だった。
中学は堂々とエヴァのパイロットとして在籍していたから、それを上手く隠せるようにわざと遠くの高校に進学したり、事後処理で何度かネルフに呼ばれたりすることはあったけれども。
でも楽しかった。世界の運命を背負ってたチルドレンとしてではなく、ただの高校生、ただの大学生として生きてきたこの数年は。
「アタシたちはさ、所詮幸せになれない存在なのかもね」
「そんな哀しいこと言うなよ」
「でもそうだと思うもの。日本にいたらいずれはメディアのおもちゃになって、犯罪者のレッテルを貼られ、暗く長い道だけしか残らない。だから逃げたとしても、いつ素性がバレるかを心配しながら細々と生活していくしかないのよ」
「アスカ・・・」
「アタシさ、セカンドチルドレンって肩書きに誇りを持ってた。だけど、こんな状況になったらさ・・・」
ただ、めんどくさいだけよね。
ぽつりと呟いたアスカの目から、涙がぽろりと零れ落ちた。
「ねぇ・・何でアタシたちだけ・・・こんなことに、なるの・・?」
「アスカ・・・」
「やっと・・・やっと普通に・・生きられると思ってたのに・・」
アスカの涙は零れ落ちるのをやめない。そして僕も何もできない。
アスカは一緒に戦い、一緒に傷つき、つかの間の偽りの幸せを一緒に過ごした仲間だ。それ以上ではない。少なくともアスカは、僕に対してそれ以上の感情は持ち合わせていないと思う。
そう、酷く曖昧な関係。だから僕は何も言えずにこの場にいるしかない。
もしかしたら、ここでアスカに触れたとしても、アスカは僕を受け入れてくれるかもしれない。でも僕はそうできない。
だって・・・拒否されるのが、怖いから。
やっぱり僕はズルくて臆病で弱虫なままだな。自虐的な笑みをこぼしたとき、アスカがふと顔を上げて言った。
「シンジ」
「・・何?」
「1つだけ、約束して」
「何を?」
「アタシ、もう不確かなものなんていらない。そんなのいやなの。何か確かなものが欲しいの。曖昧なものならいらない。無いほうがいい。期待して傷つきたくないの、もう・・・だから」
「だから・・・?」
アスカは大きく息を吐いた。呼吸が軽く乱れているのが分かる。
何度かしゃくりあげた後、ゆっくりと彼女は言った。
「これからも・・・何があってもアタシと一緒にいるって、ずっと離れないって、約束して」
僕は自分の耳を疑った。勢い良くあげた視線がアスカの瞳とかち合う。
彼女の瞳は吸い込まれそうなほど透き通った青色だった。そして微かに潤んでいた。
「ア、スカ・・・?」
「約束してよ。ずっといつまでも一緒にいるって。ねぇ」
「僕、で・・いいの・・・?」
「アタシじゃダメなの?」
「違う、そういう意味じゃないんだ・・・だけど僕は、ズルくて臆病で弱虫なままなんだよ。それでもいいの?」
一瞬の沈黙。
後、
笑顔。
「バカね。だからいいんじゃない。シンジはどこまでいってもシンジだもの」
まだしゃくりあげていたけれど、それでもいつもの明るい口調で、アスカはそう言ってくれた。
普通なら僕から何かアクションを起こすべきなのかもしれない。でも僕はそうできなかった。
情けなさと申し訳なさと困惑と嬉しさが一気に襲ってきて、僕の感情はついにキャパシティをオーバーしてしまった。
「う・・ぐずっ・・・」
「もー・・何泣いてるのよ、バカシンジ」
立場が逆転しちゃったな。僕はやっぱり僕なんだ。
うれし泣きなのかその他なのかが自分でも良く分からなくて、僕はきっと心底間抜けな表情をしていただろう。
でもアスカはそんな僕の頭や頬をそっと優しく撫でていてくれた。
終わらせ方が半端。。。
モドル