知りたい。だけど知りたくない。怖いから。 あの新聞を読んだ後から、私は碇くんに会うのが怖く感じるようになった。
もちろん、彼がサードインパクトに・・・お母さんと弟を奪ったあの災害に関わっているなんて信じたくない。だけど、あの記事には彼をイメージしてしまうようなキーワードが溢れすぎていた。
会って話を聴きたい。だけど会いたくない。
その矛盾に私は悩まされていた。



の空の下で。―LA CAMPANELLA―
written by sonora



そしてあの授業が来た。先週碇くんと再会してしまった心理学の授業。
教養の授業はサボりぎみなんだ、と彼はこの前言っていた。だから彼がこの授業に出ない可能性というのも十分考えられる。
こんなに悩むんなら、いっそのこと授業をさぼってしまおうかとも考えた。けれど、彼があの新聞記事に全く関係ないということだって十分あり得る話だ。
悩んだ末、結局私は授業に出ることにした。この前と同じようにA棟に向かい、人でごったがえしている廊下をすり抜け教室の入り口に行き―。

「・・・やっぱり」

碇くんに声をかけられた。

「ゴメン。この授業でなら会えると思って待ってたんだ」

「待ってた? 私を?」

「うん・・・いろいろと、話しておきたいことがあって、さ」

「話・・?」

「うん。授業終わってからでもいいんだけど、時間あるかな?」

ない、と言いたかった。話があるんだ、と前置きされて、私が喜ぶような話をしてくれるのかもしれない、と期待するほど私は素直ではない。
だけどここで彼と話さないと何も変わらないだろうと思った。

「ん・・分かった。カードだけ出したら、話そう」

私はゆっくりとそう答えた。
碇くんは、ありがとう、と言って続けた。

「・・・じゃあ、出したらA−801に来て。この棟の8階の端の部屋」

「・・え?」

「あんまり他の人に聞かれたくないんだ。ちょっと僕も訳ありでさ」

「う、ん・・いいけど」

「ゴメン、じゃあ、待ってる」

そしてもう一度、ゴメン、と言うと碇くんはエレベーターの方へ消えた。
訳ありな話だ、と前置きして、わざわざ部屋まで取っているからにはやっぱり深刻な話なんだろうと思った。
聴きたい、だけど、聴きたくない。

「やっぱり・・・そうなの?」

始業のチャイムが鳴り響くのを聞きながら、私は呆然と呟いた。



「シンジ・・・アンタって結構皮肉っぽいのね」

「部屋番号のこと? やだな、たまたまだよ」

「何でもいいけど、あんまり気分のいいもんじゃないわ」

「ゴメン」

「・・・あの子に話してどうするの?」

「どうするってことじゃないよ。ただ言っておきたかったんだ。もう2度と会えないと思うから」

「悲観的ねぇ」

「そうかな」

「ま、他の女に積極的になられても困るけど」

「はは」

「アンタたち、どんな関係だったの?」

「あのさ・・それって、ヤキモチ?」

「バーカ。いいから答えなさいよ」

「あの子はただのクラスメートだよ。転校前に2人だけの音楽会を開いた仲だけど」

「ふーん。アンタ、あの子のこと好きだったんだ?」

「そんなんじゃないって・・・」

「正直に言いなさいよ。いいのよ、どうせアタシがまだドイツにいた頃の話なんだから」

「ホントに違うって・・・」

「あっそ。じゃあそういうことにしといてあげるわ」

「・・・アスカって、結構嫉妬深いんだね・・・」

「今頃気づいたの? アンタってホントにバカね」



A−801は小さな教室だった。少人数のゼミか、クラス単位の語学の授業くらいしか出来なさそうな部屋。
その部屋にいるのは、碇くんと惣流さんと私だけ。

「わざわざ部屋を借りるなんて、碇くんってホントに準備がいいね」

「そうかな」

あの時と変わらない口調で碇くんは答え、それから机の上に腰掛けた。私も近くの席に腰掛ける。惣流さんは窓に寄りかかったまま立っていた。
ゆっくりとした深呼吸をしたあと、碇くんは口を開いた。

「ゴメン。僕もまだどう話そうか迷ってるんだ。だから分かりにくいかもしれないけど、聞いてくれる?」

「うん、いいよ」

「じゃあ、君と別れたあのときから話すよ・・・」

そうして話し始めた碇くんの口調は終始淡々としていた。あの時あった事実を述べていくだけ。それでも私の受けた衝撃はすさまじかった。
その話の間中ずっと、私の心臓は、まるで全力疾走した後のように早鐘を打ち続けていた。

サードインパクトと関連があると噂されている特務機関の総司令が彼の父親だったこと。
その父親に呼ばれて行ってみたら、エヴァンゲリオンという人型決戦兵器に乗せられ、第3新東京市に攻めてきた使徒という名の敵と戦わされたこと。
戦いで大怪我をしても、使徒に取り込まれてしまってもなお戦い続けたこと。
同じパイロットだった1人の少女が使徒に心を犯されても自分は何もできなかったこと。
パイロットだったもう1人の少女は、人と似て非なる存在だったこと。
好きだと言ってくれた少年を、使徒だったからという理由で自分の手で殺してしまったこと。

「僕の父さんは、人の心の足りない部分を人間みんなで補完しあうことで安らぎを得ようと考えていた。そしてその先には、僕の母さんに会いたいという気持ちがあった」

「碇くんの、お母さん?」

「母さんは、エヴァの基礎理論を解いた人なんだ。僕が小さいころ、ある実験で死んでしまったんだけどね」

「そう、だったんだ・・・」

「うん・・・僕が最後の使徒を倒したころ、父さんはついに補完計画を始動させた。その依り代になったのが、この僕。そして、人類の補完を・・・人の心を1つにまとめ、どこまでが自分でどこまでが他人か分からない、心地いいけど曖昧な世界を拒否したのも僕」

「それってどういう・・・」

碇くんは口ごもった。大きく深呼吸をすると、私の目をまっすぐ見つめ、こう言った。

「つまり、サードインパクトを起こしたのは、僕なんだよ」

「・・・うそ」

「ホントは、もっと他にもいろんな欲望とか絡んでるんだと思う。だけどそれは僕にも分からないんだ。でも、サードインパクトの軸だったのは僕。それだけは確かなんだ」

「そんな・・・」

碇くん。クラスでは目立たない存在だった。綺麗な音を出すチェロ弾きだった。勉強だってスポーツだってそこそこだった。どこにでもいる普通の中学2年生だった。
まさかその彼が、私から青春や家族やピアノを奪ったなんて・・・・ウソだ。
一瞬我を忘れた私がふと気づくと、碇くんのもとに詰め寄って彼の着ているシャツの胸元を引っ張っていた。
ふと目線を上げてみると、怯えと哀しみを一緒くたに湛えた彼の瞳と目が合った。

「・・ウソだって言ってよ。冗談なんでしょ? ねぇ。ねぇっ。ねぇ!!」

「本当よ」

窓際から聞こえた声に反応して、私はキッと厳しい顔のまま惣流さんをにらみつけた。

「何であなたが答えるんですか? 私は碇くんに聞いてるんです」

「シンジが言ってるのは全部ホントよ。だから受け入れて」

「何を知ってるんですか、あなたは? 第一、何でここにいるんですか?」

惣流さんは碇くんの彼女だから? 私はただのクラスメートで、彼女は特別だから?
原因は良く分からなかったけれど私はその時、惣流さんのことを猛烈に否定したくなった。

どうしてあなただけが特別なの? 私の立場は所詮、あの時のクラスメートに過ぎないというの?

その時の私の心は皮肉と残酷さで溢れていた。

「さっきシンジが、同じパイロットだった1人の少女が使徒に心を犯されても・・・って話したわよね。その女の子は、小さいときからエヴァのパイロットになるために必死に努力してた。でもその使徒には勝てなかった。心を犯されてエヴァに乗れなくなってパイロットを辞めさせられた。自分の殻に閉じこもった彼女は、サードインパクトの起こる直前にむりやりエヴァに乗せられて、すごく幼稚なレベルで覚醒したの。だけどやっぱり目の前の敵には勝てなかった。目を抉られて体も引き裂かれた」

「だからどうしたって―」

「その時の傷が・・コレよ」

惣流さんは右腕をさっと横に伸ばした。すぐに気づくのは、一筋の蚯蚓腫れ。うっすらと赤くなっている傷。

・・・傷?

エヴァに乗せられて覚醒した彼女は、体を引き裂かれ・・・?

まさか。

「アタシもパイロットだったのよ。だから知ってるの・・・少なくとも、使徒と戦って傷ついたサードチルドレン、碇シンジのことはね」

「・・・・」

何も言えなくなった私は碇くんのシャツから手を離した。彼はしわになってしまったところを丁寧に伸ばすと、また話し始めた。

「サードインパクトで、ものすごい数の行方不明者が出たのは知ってると思う。あの時僕らはまだ中学生だったけど、それでも責任がないとは言えない。 だからあの話題はずっと避けてたことなんだ。この前みたいにね」

「うん・・・」

「だけどこの前の新聞に、僕らのことやサードインパクトの真実を匂わせるような記事が載ってたんだ。今の話で分かると思うけど、あの記事が真実で、隕石の落下が原因っていうのがダミーの情報。でもね、あの真実は隠しておかなきゃいけないんだ」

「・・どうして? 真実を明らかにすべきなんじゃないの? 一体何人の人が苦しんだと思ってるの!?」

碇くんは俯いた。どう答えようか考えているようだった。
そんな彼を一瞥した惣流さんが代わりに答えた。お腹の底が熱く感じてしまうくらいの怒りを湧き上がらせる答えだった。

「アタシたちだって、幸せになりたいからよ」

ぱんっ。

たった3人しかいない教室には、思いのほか乾いた音が響いた。
勢い良く振り下げた右手がじんじんとしびれた。

「何で自分ばっかり幸せになろうとするんですか!? 私が失ったものは、惣流さんたちが幸せになったら帰ってくるんですか!? そんな無責任―」

歯を食いしばる暇もなかった。舌を噛んでしまったみたいで、かすかに血の味がした。
逆襲は右の頬に来た。
ぐいっとシャツの首元をねじられ、私はそのまま言葉をぶつけられた。

「本当のママがアタシのことを見てくれない悲しみが分かる!? ろくに遊んだこともないまま訓練付けにされる空しさが分かる!? 体を引き裂かれる痛みは!? ねぇ!!」

「アスカ」

「止めないで!」

「やめろよアスカ」

「でも」

「他人の苦しみなんてみんな分からないよ」

静かな口調で碇くんがそう言うと同時に私は解放される。けほっと空堰が出た。

「僕たち、もうすぐ日本にいられなくなるんだ」

「・・・え?」

「これ以上の情報が漏れてしまったときのために身を隠すことになってる。もう話せる機会もないと思う。だから今日こうやって会ったんだけど・・・ゴメン、嫌なことだけだったね」

「そんな・・・」

今起きたことを消化できずにいた私の頭はそれでパンクしそうになった。
まともな答えが返せないままつっ立っていると、どこからかケータイの着信音が響いてきた。
碇くんがそれに気づき、自分のカバンのなかからケータイを取り出して何かを話しているのを、私はぼーっと眺めていた。

「はい、はい・・・分かりました。今からいきます」

「どうしたの?」

「アスカ、今から松代に行くよ」

「松代・・ネルフに?」

「副司令が呼んでる」

「そう、分かった」

2人はそれだけ話すと、慌しく仕度をして教室を出て行こうとした。先に惣流さんが出て、そのあとに碇くんが続く。

「ねぇ!」

やっとのことで声を出すと、私は彼を呼び止めた。

「あの・・何で私にこのことを話したの?」

碇くんはふっと笑った。何でだろうね、と言い少し間を置いて、続けた。

「2人だけの音楽会を開いた仲だからね。君には言っておきたかったんだ」

じゃあ・・・さよなら。
彼はそう言うとくるっと背を向けて出て行ってしまった。
教室に残されたのは私だけ。クーラーの稼動音が低く響くのが分かるくらい、ここは静かだった。

だから、私の搾り出すような泣き声はとても良く響いた。



次の日はずっと部屋で泣いて過ごした。お父さんが心配してくれたけど、その声ですら邪魔だった。ただ1人になりたかった。
碇くんは私に真実を伝えてどうしようと言うのだろう。
彼は私をどういう目で見ていたのだろう。
それは私が考えても答えが出ない不毛な問いだった。

でもどうして私はあの時、あんなにも惣流さんに食ってかかったのだろう?

どうして惣流さんが特別扱いされていることに、私はイラついたのだろう?

中学2年の何ヶ月かを一緒に過ごしただけの相手に、私は何を期待していたのだろう・・・?



その次の日も、私は部屋にいた。昨日一日中泣いて、泣きつかれて、泣く意味も分からなくなっていた。
ネットで手当たり次第にサードインパクトのことを調べ始めたのはその日の夕方だった。けれども行き着くのはどれも同じようなところだった。碇くんの言った真実はまだ世に出ていない。いっそのこと、洗いざらい外に公表してみようかとも思った。だけれども、一介の大学生がそんなことを言っても相手にされないだろうということくらい分かっていた。

「こんなことして・・・私、何してんだろ」

乱雑な部屋の中でごろんと横になり、考える。

私は碇くんのことをどう思っているんだろう?

彼は私にとって仇みたいな存在だ。お母さんと弟を奪って、青春を奪って、ピアノも奪った。そして私みたいな人は他にゴマンといる。言ってみれば全世界の真の敵は彼なのだ。
だとしたら私は、昨日あの話を聴いた瞬間に彼のことを憎み始めたっていいはずだ。
だけどあれから一日経っても、彼を憎むという選択肢は浮かんでこない。
どうしてだろう?

スキ、だから?

違う、と思う。

じゃあ、キライ?

キライ、じゃない。

じゃあ何?

「よくわかんなくなっちゃった」

結局、悩んでも答えは出なかった。



モドル