
ふらっと入った一軒の喫茶店。午後2時過ぎという時間のせいか、席のほとんどは埋まっている。奥の窓際の席がたまたま空いていたので、私はそこへ腰掛けた。
今日はここでレポートを仕上げてしまうつもりだ。学校に残ってやっても良かったけれど、たまには見知らぬ店に入ってもいいかな、とふと思って、大学近くの道をふらふらと歩いてみた。そして見つけたのがここ。
「ご注文は何になさいますか?」
淡いピンク色のシャツに茶色のスカートという、かわいらしい制服に身を包んだ店員が私にそう告げた。
「コーヒーをブラックで」
「かしこまりました」
一礼して店員は去っていった。その後姿を見て、私は自分の言ったことに苦笑した。
何でブラックコーヒーなんて頼んだんだろ。
私は苦いのは嫌いだった。今でも本当は嫌い。
・・・ねえ、シンジ。私まだ、あんたのことひきずってるわ。
「おまたせいたしました・・・失礼します」
頼んでまだそんなにたっていないっていうのに、おまたせいたしました、なんて、すごく律儀だと私はいつも思う。
「ありがとう」
だから私はいつもそう言ってあげることにしている。本当に待ったときだけ、それは言わない。
そうしたら店員の苦労が報われる気がしない?
一口カップに口をつけてみる。
「・・・苦い」
やっぱりそれは苦かった。
『コーヒーはブラックがおいしいんだよ』
そう言って笑って、私は苦いものが嫌いなのを知っているくせに、ブラックコーヒーを勧めたシンジは、私が大学に入った頃、突然いなくなってしまった。そのまま音信不通の状態が今でも続いている。
『まるでネコが家出したみたいね』
そう言ったのは、私が師と仰ぐ科学者だ。
『でもネコは身勝手なものよ。何年もたってからふらっと帰ってくる事もあるわ』
その一言を指針にして、もしかしたら二度と帰って来ないかもしれないシンジを、私は待っている。
私に断りもなく消えてしまった彼を叱ってやりたいから。
だからって、恋人ってわけじゃない。ただの・・・ただの、何かしら。同居人?同級生?かつての戦友?
・・・とにかく、私たちの関係はそんなに甘い関係ではなかった。今でもそう・・・だと思う。
「あの、すいません」
突然、日本人にしては背の高い男の人に声を掛けられた。
「席がいっぱいみたいなんで、ここ空いてたらお邪魔させてもらっていいですか?」
「あ、はい。どーぞ」
顔も見ずに私は答えた。知らない人と相席しながら、レポートなんて書きたくない。これを飲んだら帰ってやるつもりだった・・・顔を見るまで。
「どうもすいませ・・・・え」
「?・・あ・・・」
いつの間にこんなに大人びたのかしら。
いつの間にこんなにかっこよくなったのかしら。
そこに立っていたのは、私が待っていた彼・・・シンジだった。
「アスカ・・・だよね?」
「ホントにシンジ?」
「偶然って怖いんだね」
やってきた店員にブラック一つ、と注文したシンジは、私の顔をまじまじと見つめた。
「・・・怒らないの?僕を」
「怒って欲しいの?」
私だって叱ってやりたい。でも、シンジが目の前にいるって分かったら、何だか拍子抜けしてしまって、そうできなかった。
シンジはあのころと同じ様な笑顔で笑った。
「そうじゃないけど・・・絶対怒られると思ってたから」
「私がいつも怒ってるみたいな口調ね、それ」
「そういうわけじゃないけど、さ」
「理由なら聞いてあげるわ。突然私の前から消えて、突然現れた理由をね」
「いろいろあったんだ」
シンジは静かに語り始めた。
突然消えてから、2年間。シンジはお父さん・・・まあ碇司令ってことだけど、司令にくっついてネルフにいた。特務機関から研究機関にとってかわったネルフじゃ、人手不足が深刻みたいなのよね。それでシンジは司令の命令通り、あっちにとんだり、こっちにとんだりして、あっという間の2年間だったって。
どうでもいいけど、ネルフにいた、なんて灯台元暗しもいいとこよ。すぐそばにいたんじゃない。
「連絡くらいしてくれてもいいじゃないの」
「そうだね、ゴメン」
「こっちはずっと待ってたんだから・・・あんたのこと」
運ばれてきたコーヒーに口をつけようとしていたシンジは、私のその一言に驚いたみたいだった。カップをお皿の上に戻して、私に尋ねる。
「待ってた?僕を?」
「な、何よ・・・待ってたらいけないっていうの?」
「・・・ホント、ごめん。そう言ってもらえると思ってなかったから」
「え?」
シンジは突然真剣な目をした。例えるなら、結婚を申し込む時みたいな目。
「ホントは思ってたんだ。こうやって目の前から消えたら、アスカは僕に、エヴァに、過去に振り回されないで生きていけるんじゃないかって。連絡をとらなければ、アスカは僕のこと忘れて前に進んでいけるんじゃないかって」
「シンジ?」
「僕がアスカといたって、何も出来ないって思うから」
自虐的な目。その目を私は何度みただろう。そして、私はその度に何度こう言っただろう。
「あんた、ばか?」
「え?」
ここまで来たら正直にいうしかない。私は腹をくくった。今までいえなかった気持ちを全部シンジに投げてみる。
「あんたといるだけで、私は良かったの。楽しかった、嬉しかった。そんな思いをくれた人を、忘れようなんて思えるわけないじゃないの」
「アスカ・・・」
しばらく沈黙が続いた。お互いに何をきりだそうか考えていた。
先に切り出したのはシンジだった。
「アスカさえよかったら・・・僕とまた一緒にいてくれないかな。この2年間の埋め合わせをしたいんだ」
「・・・2年分だけ?」
少し上目遣いで聞いてみる。
シンジは一瞬考えて、それから直ぐに笑った。
「アスカさえよければ、ずっと一緒に」
私も笑った。
「ありがとう、とは言わないわよ?私はずっと待ってたんだからね」
そう、注文を待たされたときと同じ様に。
「うん」
「さ。帰りましょ」
「うん」
私とシンジはそれから2年後、めでたくゴールインした。
プロポーズの言葉は・・・2人だけの秘密。
モドル