月協定。  いつもと同じけだるい午後。
 中学生の休日なんて、だいたい部活に明け暮れるか必死に塾に行くかのどっちかだから、アタシには何もやることがないのは当然だ。
 ファイト、オー! なんて言いながら必死に汗流して運動するのも、毎日毎日同じ楽器で同じパートを練習するのもアタシのシュミじゃないし、塾に行ってカリカリ勉強してまでいい高校、いい大学に行こうとも思わない。
 っていうか、別にドイツで大学は卒業したし、今更日本の高校や大学に行く気も起きないけどさ。

「アスカ」

 聞きなれた声に、アタシは窓の外を見るのをやめて振り返る。

「何よ?」

 そっけないTシャツに、出会った頃からずっと着てるんじゃないかって思うほど良く見る黒の半ズボン。

「買い物いくけど」

 よくよく聞けば多少低くなった声に、いつのまにかアタシを追い越した背。少し伸びた髪。それに、相変わらず子犬を連想させる黒い目。

「欲しいものあったら買ってくるよ」

 部屋の中には一歩も入ろうとしないのは、あのドアプレートの言いつけを健気に 守ってるってことね。偉い偉い。『許可なく』立ち入りを禁ず、だからね。
 でもきっと、許可があっても入ってこないんでしょ? アンタは。
 自然と笑いがこぼれる。

「何?」

 声を出して笑うアタシにシンジはそう言った。
 もう少ししゃきっとした顔すれば、それなりにカッコいいのに、なんて思うってことは、このアタシもすっかりここに染まっちゃったってわけか。
 きっと「同じ高校に行かない? アスカ」とかなんとか言われたら、どうしようもない見え見えのセリフをはいて、それでも顔は真っ赤にして頷くんだろう。もしシンジが、そんなこと言えたらの話だけど。

「アスカ」

 急かすように言ったシンジに。

「月」

 とアタシは答えてやった。
 何だよそれ、でもなく、何言ってるんだよ、でもなく、ただアタシを黙って見ているシンジ。
 バカみたい、とアタシはもう一度笑った。



Moon Agreement
written by sonora



 別についてこなくたって買ってきてあげるよ、とシンジは言ったけど、何故だか今日は暑い暑い太陽と対決してやろうという気になって、だからシンジにくっついて買い物に来た。

「何買うの?」

「素麺とサラダの材料。夕飯はそうしようと思って・・・それでいいかな?」

「そうね。暑いし」

 ごくごく普通の会話。
 でもこの『普通』が普通になるまでにはそれなりの時間が必要だった。
 諸悪の根源はサードインパクト。そしてネルフとエヴァ。アタシの持つ暗い過去。
 あの赤い海でUNに保護されて、気づくと世界は復興していた。ヒトって結構タフだったのねぇ、と白いベッドの上で思った。
 アタシはと言えば、長い入院生活の後ってこととか、エヴァシリーズとの対決の時の傷もあってしばらく入院していた。おかげで今はこうして元気に暮らせるようになったし、傷も何年か時間をかければきちんと消えてくれるらしい。

「で、アスカは何が欲しいのさ?」

「だから、月!」

 その入院生活の間ずっと世話をしてくれたのは、他ならぬシンジだった。

「近寄らないで」

 その言葉に始まって それから散々ひどいこと言ったのにもかかわらず、シンジは毎日訪れた。アタシが食事を取れるようになるとすぐに果物のお土産がついたし、歩くためのリハビリを始めればすぐに手伝ってくれた。

「だから、月は買えないって」

「買えるわよ。テレビでやってたもの」

 正直言って、その優しさは残酷だった。
 だって拒めないんだもの。どんなにひどい言葉を投げても次の日には現れるんだもの。ちゃんとお土産持って。

「僕が嫌いならそれでもいいよ。でも全部僕が悪いんだ。だからせめて、役に立ちたいんだよ・・・アスカのために」

 そう言われて、シンジが全部悪を背負い込もうとしたことに気づいてしまったのが悪かったんだろう。
 少しでもいいから、アタシもその荷を背負いたいと思ってしまったのがいけなかったんだろう。
 アタシたちが元通り・・・ううん、それ以上に仲良くなるのに、そう時間はかからなかった。
 そして中学3年になった今もこうして一緒に暮らしてる。

「でもスーパーに売ってるわけじゃないだろ?」

「そうね。じゃあ不動産屋さんね!」

「アスカぁ」

 聞き分けのない駄々っ子に話すときみたいに、シンジは情けなさと優しさの同居したなんとも難しい顔をした。

「ばーか!」

「イテッ」

 シンジの鼻の頭にでこピンしてやったら、そこに浮いていた汗が飛んだ。きらきらと。



 冷房の効きすぎた店内は結構な人ごみだった。とりあえずシンジとはぐれないようにTシャツの袖を握る。そうするたびに「袖が伸びるからやめて」とシンジは言うけどアタシの知ったことじゃない。

「伸びちゃったら新しく買いなさいよ」

 と言うと、何故だかおとなしくなるからいつもそう答える。

「サラダ・・・どうしようかな」

「レタスとプチトマトとコーンとササミ・・・と、カニみたいなやつ」

「はいはい」

 適当に言っただけなのに、シンジは律儀に一つずつカゴに入れていく。

「アンタの意思はないわけ?」

 とコーンの缶詰を見つけたところでそう言うとシンジは、

「あるよ・・・これ」

 とシーチキンの缶を何気なく見せた。それから、あぁ・・でもササミあるからダメかなぁ・・・なんて呟いた。

「何でダメなのよ?」

「肉っぽいのが被るじゃないか」

「別にいいじゃない」

「アスカがよければいいけど・・・」

「別にアタシの機嫌取らなくたっていいわよ」

「そういうわけじゃないんだけどさ」

 そう、シンジはアタシの顔色を相変わらず窺ってる。何かするにもとりあえずアタシの意見を聞いてから。
 そういうところが好きだけど嫌い。

「家にジュースあったっけ?」

「んー・・・あ、朝飲んじゃったからないわ」

「じゃー買おう」

 アタシはシャツの袖を掴んでシンジについていく。
 色とりどりのパックが並んだケースの前でシンジは止まって

「どれにする?」

 と言った。

「たまにはシンジが決めたら?」

「え? あ・・うーん・・」

 ジュース一つで、そんなに悩むもんかしらね? と思いつつも、アタシはしばらくシンジが決めるのを待った。
 たっぷり1分待って、

「これでいい?」

 と見せたのはアセロラの入ったジュース。

「いいわよ」

「じゃあ、これにしよう」

 そう言ってカゴに入れた後、シンジは笑った。



 それからアイスを自分用にそれぞれ選んで、暑い中を歩いて家に帰ると、ちょうど良くミサトから電話が入った。
 シンジを庇って死んだと聞かされていたミサト。そのミサトが現れたときはびっくりしたけど、

「もう私がいなくても平気よね?」

 と、アタシたちを置いてあっさりネルフドイツ支部勤務になったときはもっと驚いた。
 三佐から昇格して今じゃドイツ支部の副司令に収まってるらしい。
 と言ったって、ドイツ支部はほとんど研究施設になって、細々と活動してるだけみたいだけど。
 ドイツ支部はアタシの家みたいな場所だった。
 エヴァのパイロットに選ばれて、喜び勇んでママに報告に行って、天井からぶら下がっていたママを見つけてしまったあの日から、アタシの全てをかけた場所。
 今はもうその面影もないほどに縮小されてしまったという事実は、ホントなら悲しむべきことなのかもしれないけど、仕方ないわね、と割り切ってしまえたのは、このちっぽけな島国に、もっと小さな、でも確かな自分の居場所を見つけたからかもしれない。

「どう、そっちは? うまくやってる?」

「大丈夫よ」

「何か困ったこととかあったらいつでも連絡しなさいね」

「分かってるわよ。心配しなくても大丈夫!」

「そう・・シンジ君は?」

「いるわよ・・・シンジー!」

「何? ミサトさん?」

「そっ」

「・・あ、もしもし代わりました・・・はい、元気です」

 頷きながら「はい」って返事をするのはちょっと面白い。
 でも、ミサトか・・・始めは嫌いだった。今だって大好きじゃないと思う。でもきっと、ミサトはミサトなりにアタシたちを置いて外に出てしまったことに責任を感じてると思うし、 だとしたら、その優しさはなんだかくすぐったい気がして、昔みたいにそっけない態度なんて取れない。
 シンジと2人でここに戻ったとき、ミサトの部屋が空っぽなことや、冷蔵庫にあったビールが全部なくなってて寂しかったっけ。

「はい・・・そうですね。ミサトさんも体には気をつけて・・・じゃあ、また」

 かちゃ・・電話が置かれて、シンジはアタシのほうを向いた。

「何? アスカ」

「ミサト、何言ったのかと思ってさ」

 困ったら連絡しなさいってさ。言いながらシンジはベランダに向かう。きっと洗濯物を入れるつもりだ。
 でもアタシは敢えて手伝ったりしない。

「はい、これ。アスカの服」

「ん」

 入れるくらいしてもらっても、バチは当たらないわよね、どうせ自分のは自分で畳むんだから。
 とかなんとか言ってみるだけで、ホントはシンジに家事をほとんどやらせてるのも、ほんの少しだけ悪いと思ったりもする。

「まだ夕飯には早いかな」

「今何時?」

「もう5時過ぎたけど」

「まだいいわ」

 仲良く服を畳みながらそんな会話をする。
 ここでもシンジはアタシに尋ねる。いつ作ろうか? お風呂先に入る?・・・これじゃまるで新婚さんみたい。セリフが逆転してるかもしれないけど。

「アタシはいつでも いいわよ」

「分かった・・・じゃあ、もう少し後にしようか」

 そうね、と答えながら服を畳むと、アタシは部屋に戻った。



 シンジの作った夕飯を食べて、シンジの入れたお風呂に入って、さっき買ったアイスを食べ終わるともう9時近かった。
 テレビをつけてチャンネルを回すとちょうど映画が始まったところだったからそれに合わせてしばらく画面とにらめっこしてみる。
 左目の視力は、エヴァシリーズの・・・思い出したくもないけどとにかくあの時にやられて以来悪くなってしまって、焦点が合いづらくてすぐ疲れる。映画には興味があったけど、疲れに負けて消そうかと思ったとき、シンジがお風呂から出てきた。
 タンクトップにジャージ姿。濡れた頭をタオルでごしごし拭いて、

「あれ、映画なんかやってたんだ」

 と言った。そして冷蔵庫から自分用に選んだソーダバーを持ってアタシの隣に腰を下ろす。石鹸の香りがただよった。

「面白い?」

「まあまあね。あ、それちょっとちょーだい」

「いいけど、アスカのは?」

「さっき食べちゃった」

 仕方ないなぁ、なんて言いながらソーダバーの袋を開けて、はい、と渡す姿はまるきりお母さんみたい。

「ん・・・アリガト」

 毒々しい、体に悪そうな青い色をしてたけど、味は文句なしにおいしかった。

「アタシもそっちにすればよかった」

 冗談ぽく言ってみたら、

「じゃあこれ・・・食べる?」

 なんて返されたからアタシは言ってやる。

「やーねぇ。冗談よ。アンタのなくなっちゃうじゃない」

「いや・・・でも食べたいなら」

「いいってば。明日同じの買うから」

 シンジは笑った。
 その笑顔は嫌いじゃない。でも、なんでもかんでもアタシのしたいようにさせてくれるシンジは、好きだけど何だか違う気がする。
 何でシンジはこんなに優しいんだろう? どうしてアタシのしたい放題にさせるんだろう?
 でも、アタシがそんなこと素直に訊けるはずがない。
 だから、ソーダバーを無理やりシンジの口に押し込むと、アタシは言った。

「アンタも、たまには自分で決めてそれを通したらどうなの?」

「・・・え?」

 ソーダバーを口から出してシンジはそう言った。

「だから・・今、アタシはこの映画見てるじゃない? でもシンジは他にどうしても見たい番組があるとするでしょ?  そしたらさ、シンジは『チャンネル変えていいかな?』ってアタシに聞く? 聞かないでしょ」

「うーん・・・そうかもしれないけど、でもアスカが見たいなら」

「それがダメって言ってるのよ」

「でも」

「アンタもたまには自分1人でばしっと決めてみなさいよ!」

 シンジはいつだってアタシを優先してくれて、多分その裏で自分のしたいことを殺してるんだと思う。
 アタシにとってはこれで良くても、シンジがそれで疲れちゃうんだったらそれこそ本末転倒よね。それが原因でもしアタシが1人になっちゃったら・・・? 考えただけでもぞっとする。
 少しだけ沈黙があって、それからシンジが口を開いた。

「じゃあ僕は・・・月なんて買わない」

「は?」

「アスカが欲しいって言っても、僕は絶対月なんて買ってやらない」

「やだアンタ。まだ拘ってたの!?」

「うん。あ、じゃあそれも僕の意思ね」

「あのねぇ」

「さっきちらっと調べたんだけどさ、月って誰のものにもならないんだって」

「え? でもたまにテレビとかネットで出てるわよ? 月の土地の 売買のこと」

「そうみたいだけど・・・でも月が誰のものにもならないんだったら、売るとか買うとかできないじゃないか」

「そりゃ、そうよね」

「でもさ」

 シンジはアタシの顔をまっすぐ見て、そして言った。

「でももし、月が誰にでも買えてアスカが欲しいって言っても、僕はそれは買わない。それも僕の意思」

 もし月が買えたら。そんな非現実的なことを言ってるんじゃないのに、何だか納得しかけた自分がいた。
 シンジがそうするんだったら、じゃあアタシは「月が欲しいほしい」ってずっと駄々こねてやろう、なんて考えた。
 そっと自然にテレビの方に目を逸らすと、アタシは言った。

「ふーん・・・っていうかなんでそんなこと知ってるわけ?」

「アスカがお風呂に入ってるあ・・・ぅわっ」

 べちゃ。
 振り返ると、そんな音がぴったり似合いそうな勢いでシンジの持っていたソーダバーがカーペットに落ちた。

「ちょ、アスカ! ティッシュ!」

「はいはい!」

「もー・・・まだ二口しか食べてなかったのに・・・」

「じゃあ明日買えばいいじゃない」

「そうだけど・・」

 2人でティッシュを掴んでカーペットを拭いてると、ふと目が合った。

「・・ぷっ」

「あははっ!」

 手を止めて、2人で笑う。と同時に、さっき考えていたことなんて頭の隅っこに消えてなくなった。
 でもふと気になってシンジに言ってみる。

「シンジ」

「ん?」

「シンジのしたいことって、何?」

 んー・・・とシンジは考えて、こう答えた。
 顔をちょっとだけ下に逸らして、お風呂上りのときよりももっと頬を赤く染めて。

「アスカが、笑ってくれること・・・かな」

「なっ・・・」

 油断してるときにこんなセリフを言われたらたまったもんじゃない。
 赤くなった顔を隠そうと無理やりテレビを見ると、ヒーローとヒロインが泣きながら抱き合ってるシーンだった。

「!?」

 どんな顔をしていいか分からなくなったアタシは。

「何いってんのよ!」

 と、まだ赤い顔のまま、シンジに叫んだ。






 あとがきにかえて。

 月のいかなる部分も、いずれの国、政府間国際組織、非政府間国際組織、国内組織、非政府団体またはいずれの自然人の所有にも帰属しない。(月協定第11条)
 でも、月の土地の売買を実際にしてる会社もあるんですよね。これが許されるのかっていうと月協定に批准してる国がすくな(ry
 まぁ、ネタはそれだけです(笑)ちょうど勉強したんで、「つかっちまえよ」とどこからかささやきが・・・あわわわ。
 EOEアフターのわりに、重くないかも。っていうかさらっと流しすぎた感が・・・まぁ、sonoraカラーなのでお許しを。
 ここまで読んでくださった皆さんに感謝します。sonoraでした。



モドル