
じっとりと じっとりと 雨は降り続く
ゆっくりと ゆっくりと 飴がとけていくように。
あめ
Written by SAT
午前中から降り出した雨は、夜になってもまだ勢いを弱めずにいる。
無機質なこの街を叩く音は、どこまでも分厚く硬質だ。
僕は雨に憂鬱を感じるようなタイプの人間ではないけれど、
それでも空を覆う雲の重さはあまり好きとは言えない。
加えて靴に水が染み込む、あの気持ち悪さ。
こんな日は誰だって外出する気分じゃなくなるだろう。
と、思うのだが。
『シンジー?散歩に行くから付き合って』
アスカの一言で、こうして公園まで出向く事になったわけである。
本当は断りたかったけど、アスカは一人でも行くだろうし、
そうなるとこの夜道を女の子一人で歩かせるわけにはいかなし。
やけに楽しそうな赤い傘を見ながらぼんやりと思う。
どういうわけか今夜の彼女は御機嫌のようで、
少し走ったり、ときおりくるっと回ったりして、
灰色のブランコも薄暗い滑り台も、そのたびに鮮やかに輝いて見える。
「アスカー?服濡れるよ?」
17メートル先の彼女には、多少声をはらないと届かない。
それでも―――人がいないとはいえ―――夜も遅いし、
音量は抑えたつもりだったけれど。
「いーの!別に!」
返ってきたアスカの声はフルボリュームだ。
振りかえる動作に少し遅れて、黄色いスカートがふわりと舞う。
―――まぁ、アスカらしいと言えばアスカらしいんだけど。
ふっと口の端に笑みが漏れて、それに気づいてまた少し笑った。
雨の日に出かけるのも、そう悪くないかもしれない。
「……それにしても、随分と雰囲気が違うもんだなぁ…」
夜の、しかも雨の降る公園に入るのなんてもちろん初めてだけれど。
ここには何て言うか、不思議な空気が満ちていて、
日常から隔離された別個の空間を作り出している。
その最たるものは―――
「不思議な感じだね」
アスカの隣に並ぶ。
疲れたのか、コレに魅入られたのか。
さっきまで跳ねまわっていた彼女は噴水の前で立ち止まって、その奔流を見上げていた。
「………ん。凄いわ、これは」
凄い、という陳腐な表現はアスカのボキャブラリー不足のせいでは決してなくて、
生粋日本人の僕にもこの情景を言葉で表すのは難しい。
噴水は僕らよりもふたまわりほど大きく、夜空にそびえたっている。
吹き上げる水柱は降り注ぐ雨とぶつかって白く騒いでいるのに、
その音があまりにも緻密に空気の中に織り込まれているせいで、
かえって静けさばかりがこの壮大なオブジェの周辺を支配している。
飛び散るしぶきはほのかな街灯に浮きあがって、
それ自体が確かな重量をもっているみたいだ。
「なんだか雪みたい」
ぽつりとアスカが言った。
常夏の日本に育った僕は雪を見たことがない。
ただ教科書の中の情報として知っているだけだ。
言ってみれば氷の小さな結晶が降るというだけの話。
だけど、それでもきっと、アスカにとっては懐かしいものなんだろう。
―――アスカは故郷のことをあまり話さない。
だから僕には、こうして彼女が思い出に浸るとき、
何を言えばいいのか掴めない。
こんな時アスカはいつも辛そうで、
それが僕の無力さをさらに痛感させる。
今も、隣のアスカは何も言わない。
だから僕も口を開かなかった。
沈黙は気まずい。
アスカと僕はそうしてずっと―――
いや、本当は短かったかもしれないけれど、
永遠と続くように感じられる時間を、黙って過ごした。
「シンジ、飴、いる?」
「雨?」
先に口を開いたのは彼女のほうだった。
唐突に切り出したアスカは首を振って、
「違う違う、キャンディのほう」
と、小さな包みを取り出した。
それはコンビニの駄菓子コーナーなんかで見かける、
ありふれた10円キャンディの包みだった。
裏側にクジがついていて、当たるともう一個もらえるアレだ。
「あ、ありがと…でも、なんでこのタイミングで?」
「んーん、別に。ただこういう風景に似合うかなって」
アスカが早速自分の分を口に含むので、僕もそれにならった。
コーラの味のキャンディは、暑さのせいか、少しとけかかっている。
それは幾分人工くさい味がして、そんなにおいしくはなかった。
隣のアスカは何も言わない。
だから僕も口を開かなかった。
―――あぁ、そういうことか―――
ふいに気づいた。
この沈黙は。
10円キャンディのある沈黙は、気まずくないんだ。
アスカはちらっとこっちを見て、
視線で『ほらね』と語りかけてから、また噴水に目を戻す。
この飴の中途半端な大きさは口の中でもてあまし気味になって、
それは沈黙のいい理由になった。
『心配しなくていいの。自分で決着つけるからさ』
彼女の横顔はそう言っているみたいに見える。
あぁ、と再び僕は嘆息した。
このモノクロームの世界の中でも、
彼女は変わらずに鮮やかだ。
その目も服も髪も傘も、きっと心でさえも。
アスカが僕に語らないことは、きっと語らなくてもいいことなんだろう。
こうして彼女が黙っているうちは、僕は隣にいてあげるだけでいいのかもしれない。
僕がこうして夜の散歩に連れ出される意味はきっとそういうことだ。
いつか本当にアスカが弱音を吐いたとき、
はじめて僕が手を貸してあげるべきなんだろう。
それまではこの10円キャンディが心地よい沈黙を貸してくれる。
少しウェットで、その一方でソリッドで、作り物だけれど、確かに甘い。
そんな沈黙を。
僕はもう一度アスカの横顔を見る。
分かり合う努力を重ねてきた僕達に必要なのは、
あとはもう時間だけなんだろう。
雨が降りやむまでの。飴が溶けきるまでの。
噴水はまだ静寂を撒き散らしているけれど、
いつの間にか雨はやんでいて。
そっと握ったアスカの手は、もう濡れてはいなかった。
(END)
後書き
皆様御機嫌よう。SATで御座います。
sonoraさんには偉そうな口を叩いておきながらこんなにも遅くなったこと、
重ね重ね申し訳ありません。頭が下がるばかりです。
当HPは通知の通り更新休止となりましたが、
こうして自分にとって節目の一作をこちらに寄贈させて頂けるのは
作者冥利に尽きるというものです。
いずれまたどこかネットの海でお会いしましょう。
さて、企画SS第二号はSATさんのSS、「あめ」でした。
いつもながら、短い言葉を重ねて表現されるしっとり感には脱帽です。
沈黙が気まずくならず、むしろ心地よいくらいにしてしまう小道具として飴が登場し、そこにはしとしと雨が降っている。
細かいところでぴたりとはまるような、そんなところがとても素敵だと思いました。
SATさん、参加ありがとうございました。
モドル