「5」に纏わるEpisode




 この扉の向こうにアイツが待ってる。
 両開きで、大きくて、そして重量感のある木製の扉。
 現代には似つかわしくない古びたデザインも、この場所には似合いすぎるほど合ってる。
 きっとこの扉の向こう、3m先で…うぅうん、
 いくら小さな所を選んだって言ったって、5mはあるわよね。
 アイツはいつもみたいにボケーっと突っ立ってるのかな?
 それとも、緊張してガチガチに固まってて…
 ってどっちもシンジらしい。
 間違いなく、余裕を見せて笑顔で突っ立ってる、なんてのはない。
 5? ふとその数字がアタシの頭に残る。
 そういえば…今年で出会って5年目か、
 縁がありすぎるわよね…
 セカンドとサード…好きじゃなかった昔の呼び名で足しても5。
 『5』
 思い浮かべると、まだまだありそうな気がする。
 アタシとアイツの距離でもあったしね。
 多分、今までの中でこの「5m」って距離で過ごした時間が一番長い。
 これから…その距離をゼロにする為の舞台に上る。
 今アタシの隣には、加持さんも隣で出番を待ってる。
 尻尾みたいな髪の毛も今日はついてなければ、無精ひげもナシ。
 アタシ達の為にトレードマークを刈り揃えて、剃ってくれた。
 扉越しに響くオルガンの音…
 旋律がアタシに未来を届けてくれる。
 ここから新しいアタシの始まり。












『5』

書イタ人:しふぉん













 ゆっくりと扉が開かれて、舞台の幕が上がっていく。
 合わせるように、楽曲が響きアタシの耳に大きく届く。
 小さく拍手の音も聞こえてきて…
 純白のヴェール越しに見えるアタシの前に、新しい世界がゆっくりと開かれてく。
 ステンドグラスを透過した光が舞台を染め上げて、蜀台に掲げられた優しいオレンジ色の光が華を添える。
 扉も開ききってるのに、前に進むのも忘れてその光景に見入ってしまう。
 妖精の国とか、どこかのファンタジー世界みたいに光の精霊が踊ってるって言われても、全然不思議じゃない。
 どこにでもあるような小さな教会なのに、見慣れぬ世界に来たみたいで…
 ふと腕に絡めた手に伝わってくる感覚で、我に返る。
 ほんの少しだけ、見てるだけなら気づかないくらい僅かに、隣に立つ加持さんが緊張して少し震えてる。
 目だけで顔色を窺うと、必死に取り繕ってるのがよくわかった。
 唾が喉を通り抜ける音まではっきり聞こえてくるほど。
 ま、それも当然よね。
 なんってったって、このアタシの父親役をやれるんだから。
 パパを差し置いての大役なんだから、光栄に思ってよね。
 加持さんはその緊張の余り、祭壇の方から目をそらさない。
 まぁ、アタシの様子を伺うほど余裕がないだけなんだろうけどね。

「…いくぞ、アスカ」

 祭壇が遠くに見える。
 たった10mくらいなのに。
 その途中、真ん中辺りに見慣れたアイツの姿がある。
 でも、いつもみたいにボケっとしてない。
 すこし、引き締まった表情。
 ピクっ頬が少し動く。
 シンジも緊張してるんだ。

「…うん」

 小さくうなずいて応えると、ゆっくりとそして小さく一歩目を踏み出す。
 それに合わせて、アタシも一歩目を踏み出す。
 アイツとの少し距離が縮まる。
 思えば、この5mって距離を縮めたくて…馬鹿なこともしたわね。



















 ベットの上で胡坐を組み、その足首を両手で握りながらアタシが見つめるのは…壁。
 実際に見つめているのは壁ではなく、その向こう側にのびる廊下を越えた更に向こう。
 もちろん壁の向こう側が見えるわけもなくって…
 でも、その先に間違いなく居るであろうシンジを睨みつけている。
 アイツとアタシとの距離。
 現在5m。
 実際に寝てる時のアタシの足の先からアイツの足の先までの距離だったら、もうちょっと短い。
 でも、胸から胸くらいで、ちょうど5m。
 ベットと壁の間には、箪笥があって。
 壁の向こうには廊下。
 そして、その廊下の壁の向こうには…シンジが寝てる。
 この距離を縮める方法を考えてる。
 別にそれ自体に理由なんかないけど、そうすることでアタシの考えてることがアイツに伝わるかも知れないなんて…
 アイツの考えてることが解るかもしれない、って思っただけ。
 実際そんなことがあるわけないって、解ってるけど。
 何かしないといけない。
 そんな気持ちが先走ってるだけ。
 頭を逆にして寝たこともあるけど…
 アイツがアタシに足を向けて寝てるのに、なんでアタシがアイツの足に向けて寝なきゃならないのよっ!
 ということで、却下。
 っで、アタシは考えた訳だ。


  1案・シンジの頭をこちらに向かせて眠らせる。

「やだよっ! 扉の隙間から差し込んでくる光が目にちょうど当たるから嫌なんだよ。
 元は物置なんだから…そっちの襖みたいにしっかりと閉まらないんだよ!」

 と、シンジの猛烈な反対にあい、不可。


  2案・シンジに廊下で眠らせる。
 これならば、5mどころか一気に2mほど詰められる。

「なんでだよっ! わけわかんないよ…」

 これも、猛烈な反対にあい、不可。


  3案・アタシの方が近寄る。(ベットごと移動。)
 模様替えという名目で、ベットの位置を廊下側に持ってくれば、シンジだって文句は言えない。
 というわけで、シンジを手伝わせて作業開始。

「え?廊下側にベットを持ってくるの?」

 ただの模様替えっていうのを信じさせるために、結局は箪笥に机まで、動かすことに…
 箪笥なんかの重いものはアイツ一人でってのは無理だから、アタシも手伝って運ばせたんだけど…
 アタシがベットの位置を言い出した瞬間、それまで文句ひとつ言わなかったアイツが急に不満そうに言い出した。

「なんか文句あるの?」

 ここで反論されて計画が頓挫してしまっては意味がない。
 きつく睨み付けて、その意見を却下しようとするのだが、アイツは生意気にもアタシに意見してきた。

「だって、窓際じゃないと…」

「窓際じゃないと? なによ?」

「アスカ、起きないじゃないか…日差しをもろに浴びてたって起きないのに。
 さらに日が当たらなくなったら、もう声だけじゃ起きなくなるじゃないか…」

 湿度の高い視線がアタシの目から火を消して勢いを奪っていく。

「お、起きるわよ…」

「じゃぁ…明日から起こしに来なくても、起きてくれる?」

 くっ…シンジの分際で、アタシを論破するとは…
 だけど、そのシンジの意見も尤もなのよね…
 アイツに起こしてもらいたくて、二度寝してるし。
 この場合、朝のその行事が一つ減るのとどちらを取るか…
 っで、距離よりも、朝を選んじゃって…
 結局、距離は縮まらず。



















 …って、アタシも馬鹿なことしたわね。
 自分でもちょっと呆れちゃうけど、いい思い出。
 そんな物理的な距離じゃないのに。
 こんなことをこの場で思い出すなんて、アタシもシンジのボケに影響されたのかな?
 そういえば、誰かが言ってたっけ…この道は今まで歩いてきた人生を振り返る道って。
 父親に導かれて歩くのは、子供として生きてきた日々って。
 それを顧みる道だって。

 アタシの人生かぁ…よく言えば、波乱万丈。
 だけど、そう言えるのも僅かな時間。
 ママがいなくなって…物心ついて少しした頃には、アタシが望んだモノとはいえ…
 決められたスケジュールの中で生活していただけ。
 大人達に囲まれて、分単位で行動して、
 単調に繰り返すだけの日々。
 長い人生の中から見てみれば微々たるものかもしれないけど、今のアタシには人生の半分以上をそうして過ごしてきた。
 それが大人の証って勘違いしながら。

 それが変わったのは、コイツが現れてから。
 適格者なんて言ったって、競争相手は遠く離れたファースト一人。
 それも数値という名の成績の上では、アタシの競争相手ではなかった。
 学業だろうと体術だろうと、シンクロ率、ハーモニクス…
 全てにおいてライバルなんて呼べる相手じゃなかった。
 アタシが勝手に勝負を挑んで、競う気もないファーストに勝って…
 そして、一人で勝手に勝利に酔ってた。
 アタシの進む先で待ってる、この馬鹿シンジが現れるまでは…
 それも突然現れて、アタシのbPの称号をあっさり奪い取った。
 あんな気持ち悪い奴に…
 なのにアタシはその気持ち悪い奴に惹かれてた。
 それに気づいたのは、偶然…いや、必然。
 正直、どっちでもいい。
 それがシンジに対するアタシの評価…のはずだった。
 なのに、アイツが裏庭に現れたのを見た時に、それが間違いだって…
 ずっと自分に嘘をついてたって…



















 いつもの様に、アタシはシンジを置いて先に学校に向かう。
 正直、シンジみたいな女々しい…いや『気持ち悪い』奴と一緒に歩くなんて考えられない。

 事が終わったのだから、ドイツに帰りたい。
 そう言い出したアタシを説得に来たのは、死んだと思っていた加持さんだった。

『今、アスカを帰す事はできない』

 一刀の下にアタシの願いは切り捨てられた。
 でも、それがアタシの身の安全の為に…そう言う加持さんの顔は、今までの…
 いつも笑顔で何かを隠している、そんなアタシの知ってる顔じゃなかった。
 そして、アタシはそれに同意せざるを得なかった。
 事が落ち着くまで…そういう言い訳を自分にして。

「あのっ!惣流さん! こっ、これ!読んでください!」

 突然かけられた声に、我に返ると…目の前に見知らぬ男が両手で差し出していた。
 一瞬驚きに立ち止まってしまったけど、右に一歩踏み出して、男を無視して進む。

「ぁっ…」

 小さな呟きがアタシの左耳に届く。
 いつもの事…
 確かに校門の前っていう場所で果敢にも挑戦してきたことは、下駄箱に入れて結果待ちをしてる奴よりはマシ。
 自信がある奴なんか、脇を抜けるときに腕を掴んで引きとめようとさえする。
 以前のアタシと一緒のちっぽけな自信で。
 学校の成績が良いとか、容姿が少し良いとか、運動神経が少し良いとか。
 ろくに『挫折』を経験したことないような奴なんか、アタシには問題外。
 アタシと同レベルでの挫折なんて…いる筈もない。
 其処彼処で浮かぶアタシの陰口を聴きながら昇降口へ向かい、下駄箱を開け履き替える。
 下駄箱の中に入ってたモノなど、最初はわざとらしく踏みつけたりもしたけど、今はその存在自体を無視してる。
 溜まってくれば掻き出す程度のことはするけど、正直言って面倒。
 掃除する人に、ゴメンねと心の中で謝りつつも改める気はない。
 そんなことを考えながらも、上履きに履き替えた時…アタシの目の前で、いつもとは違う光景が行われていた。
 シンジの下駄箱をそっと開け、手紙を入れ、祈るように立ち去る女の子。
 去り際に一瞬だけ立ち止まり、アタシへの憎しみを込めた視線を見せて。

 そう…この時まで日常っていう繰り返し中に溺れていた事を気づかされた。

 アタシに対する視線。
 羨望と賞賛の視線の中に紛れていた恨みと憎しみの視線に。
 それは、多数の中の少数に過ぎないけど…わかる。
 陰口とか、そんなレベルじゃない。
 敵意に満ちていて、淀んだ怒りをそのままぶつけられている様な感覚。
 教室に入っても、その視線は感じれる。
 逆に鋭さを増し、刺し殺されるとさえ感じてしまう。
 誰かは分からないけど…確実にアタシを貫いて。
 何故?アタシが?
 恨みを買うおぼえなんかない。
 妬みなら、まだ分かる。
 だが、憎まれる筋合いなんか絶対にない。
 …怖い。
 なんでアタシが怖がるの?
 だけど、血の気が引いていくのが分かる。
 存在さえも否定されるような、感覚。
 あの時みたいに…やだ、『アスカちゃん?』違うっ!ママは…『一緒に…』誰か助けて…
 心の悲鳴が胸から飛び出しそうになった時、突然馴染みの気配を感じると共に、その突き刺すような視線が感じられなくなった。

「おはよ〜さん、センセ」

「おはよう、トウジ。あれ? ケンスケは?」

「アイツはまた何とかいう、自衛隊の基地や」

 …シンジ?
 振り向かなくても分かる。
 けど、なんでシンジがきたからって…
 その瞬間、一つの仮定が浮かんだ。
 シンジを独占してるアタシに対しての嫉妬。
 そして、視線の主はその視線をアタシに向けることでシンジに嫌われてることを恐れているから。
 アタシは馬鹿? そんな筈ない。
 シンジはアタシを憎んでる。
 殺したいほどに。
 それに間違いはない。
 だって、アイツはアタシの首を…絞めたんだから。
 非力なアイツがその力の全てを込めて…

「またかい…センセも忙しいのぉ…」

「うん、今日は放課後に体育館裏だって、」

「だってって、なんや他人事みたいに言わんでもええやんか」

 ジャージとシンジの会話。
 今まで、気にも留めてなかったその声が今日に限って気になる。
 多分、今朝の女の子の手紙のことだって判る。
 内容から察するに、これが初めてじゃないっていうことも。
 だけど、シンジが女の子に告白されて浮ついてるって感じは…今まで感じたことがない。
 今までの子は可愛い子じゃなかったのかな?
 だとしたら、それも今日までかもね。
 今朝の子…結構可愛かったし。
 アイツもウンって頷くんだろうな…
 そしたら…シンジ、出て行くのかな?
 他の子と同居してるなんて、彼女にしてみれば嫌よね。
 アタシ、また一人に…一人…
 不安になる。
 結局、アタシはこの日、何も考えられなかった。
 興味のない授業は当たり前。
 ヒカリが昨日のドラマのことを話してきてても…そのドラマ自体を思い出せなくなってた。
 一人になることが、なんでこんなに不安になるのよ。
 朝のあの子の視線から、アタシは変だ。
 何故、あんな視線を向けられなければならないのか…
 放課後の鐘の音と共に、アタシは飛び出した。
 視線の意味を知りたかったから。
 今朝のシンジとジャージの話から、場所の想像はつく。
 体育館裏とはいえ、人目につかないところなんて限られている。
 体育倉庫に入り、天井付近にある小窓をそっと開け、外をうかがう。
 予想通り、そこには今朝の子が不安そうに立っていた。
 身を隠し、息を殺して待つ。

「ごめんね、お待たせしちゃったね」

 シンジの声…間違えようがない。
 様子を伺おうと、思っても身を乗り出せば、姿を見られてしまうかもしれない。
 アタシの意識が耳にだけ集中していく。

「…あっ、あの」

「うん、読んだよ。でも…ごめんなさい。」

 風に揺れる葉の音だけが、辺りに響く。
 遠くで聞こえる部活の声。
 そんな些細な音が大きく聞こえる。
 なんで、シンジは断るのか…あの子、女のアタシから見ても可愛いじゃない。
 それを証明するように、すすり泣く声が僅かに聞こえる。

「…理由、訊いてもいいですか?」

「ごめん、話せないんだ」

 シンジの沈んだ声と共に、小石の擦れる音。

「…惣流先輩ですよね?」

 多分、シンジが背を向けて立ち去ろうとしたんだろう…
 冷たく尖った声がそれを引きとめた。

「碇先輩は、惣流先輩が好きなんですよね…告白できない関係なんですよね!?」

 え? シンジがアタシを好き?
 告白できない関係?
 なによそれ?
 勘違いも甚だしいわよ、何も知らないくせに…
 それがアタシの思い込みだったとは、考えなかった。

 「なのにっ!なん…「それが?」…っで」

 シンジに似合わない、くらく冷たい声が続く言葉を遮る。
 思わず、声の主がシンジではないように錯覚してしまうほど。

「…何を知ってるって言うの?
 他の子みたいにアスカを貶したりするつもりなら…許さないよ」

 だけど、間違いなくこの声はシンジの声。
 アイツがこんな風に怒るなんて…見たことがない。
 泣いて、叫んで…そういうのがアイツの怒り方。
 アタシの知ってるシンジじゃない。
 きっと、あの子は…怯えてる。
 見なくても判る。
 普段との落差もあるのかもしれない…刃物みたいな鋭さを持ったその声と口調に、アタシでさえ恐怖を感じる。
 アイツの目の前でそれを感じてるんだから、アタシの比じゃない。

「前の子も言ってたよ。
 『惣流先輩に貸しでもあるんですか?』ってね。
 あるよ…返しきれないほど。」

 ほんの少し、言葉に温度を含ませた声を感じる。
 呆れた様に、溜息交じりで。
 それに安堵してしまったことで、一瞬だけ考えが止まってしまったが…
 貸し? そんなモノに覚えはない。

「だからって、それに縛られてるわけじゃない。
 アスカはそんなモノはないって言うだろうけどね。
 たいした事じゃなくても、大事な人だから返したいだけなんだ…」

 アタシが大事? 大事なら、なんであの時…

「だから、アスカに何かをしたり…」

 また、シンジの声から温もりが消える。
 そして、アタシの心は再びそれに怯えて体はは硬くなり、頭は考えることを放棄してしまう。

「今朝、君もしてたよね…
 僕はアスカに冷たい目を向けることさえ許さない」

 言い放つと、踵を返して立ち去っていくのが、遠くなっていく足音でわかる。
 訳が理解らない…貸し?大事? なによそれ…
 怯えて固まった体はもう解れているけど、代わりに戸惑いでアタシは身動きができなくなる。
 足音が聞こえなくなると、すすり泣く声が辺りを満たしていく。
 喉から搾り出された声が、あの子の気持ちを物語ってる。
 アタシにもその気持ちが解る。
 好きな人にあんな声を出されたら…
 そんな事をシンジがすることも…信じられなかった。
 アタシの知ってるシンジなら、もっと優しく断ってるはず。
 あれがシンジなの?って、
 だから、今のが現実に起きたことなのかと…信じきれなかった。
 いや、信じたくないのかもしれない。
 アタシもいつか、ああいう風に拒絶されるのかと思うと…
 気付けば、泣いてたはずの声はいつの間にかに止んでいた。

「…そこにいるのは、惣流先輩なんですよね」

 急にかけられた声に、アタシは身を三度硬くしてしまう。
 …気づかれていた。
 多分、アタシがココにきた時から気付いてた。
 見せつけるつもりだったんだ。
 それだけの自信があったのよね…

「返事は良いです」

 言われなくても、返事なんか出来ない。
 このアタシがコソコソと嗅ぎ回ってたというのもある。
 けど、本当はそれ以上に…まだ戸惑いがアタシの心を縛り付けているから

「先輩たち二人の間に何があったか私は知りません…」

 冷静を繕う声で、あの子が話し始める。
 まだアタシは事態を呑みこめていないのに無視して先へと進んでいってしまう。
 さらにそれが戸惑いをさらに大きくする。

「だけど、碇先輩にあんなに思われておきながら、なんで憎むんですかっ!?
 碇先輩にどれだけ守ってもらってるか、知ってるんですか!?」

 アタシがシンジを憎んでる!?
 なによそれ!?
 アイツなんかアタシの眼中にないわよ!
 憎むことすら…煩わしい、はず。
 それになに? 守られてるって。
 確かに、一時期アタシは憎んでた。
 その存在自体を。
 だけど、今はそんな事を考えたりもしない。
 無関心を演じてきたつもり…演じてきた?

「私も、惣流先輩みたいに…守ってもらいたかったのに」

 見えるはずもないアタシの動揺は伝わるわけもなく、涙にかすれた声で話し続けてる。

「…こんな風に振られたんだって…私でもう5人目です。
 多分…怖くて続く人はいないと思います。
 私は…惣流先輩を許せません、碇先輩がどう思っても…」

 アタシに降りかかる視線はシンジに振られた子から…
 それだけは、かろうじて理解できた。

「…それだけです」

 悔しそうに呟き、引き摺るような足音を残して、あの子は去っていった。
 このあと、アタシはどうやって家に帰ったかも覚えていない。
 ただ、帰り着いてから、いつものシンジの笑顔を見た時…それに安心した自分がそこにいた。



















 名前も知らないけど、今はあの子に感謝してる。
 この一件がなければ、アタシはシンジの気持ちにも気付くことがなかったし、アタシ自身の気持ちにも気付くことはなかった。
 そう、あの日からシンジとの関係は変わっていった。
 最初は、少しずつだけど会話をするようになり、
 出会った頃みたいに喧嘩もするようになり、
 そして笑って…
 シンジの前で表情を取り戻していく自分が嬉しかった。
 こう考えると、あれがシンジとの二度目の…
 うぅうん、出会ってからの全部をやり直したのかも知れない。
 ずれたまま動いていたの歯車を、もう一度、噛み合わせ直すみたいに。
 だから、ずれたまま回って傷ついた歯車を交換することはできない。
 したくもなかったし。
 どんな思い出であれ、あの馬鹿と過ごした時間なんだもん。

 『貸し』については、いまだにシンジは口を割らない。

「…ただ、それがあるから今があるんだよ」

 って、それだけ。
 あの子が言ってた守られてるっていうのは後になって、知ることができただけ。
 シンジはアタシに見えないように、けど離れずついて歩いてたってこと。
 それも、気付かれないように。
 アタシよりずっと後に家を出ていたのかと思ったら、実はすぐ後ろに居たりしたなんてね…
 さらに、バカシンジの癖に、アタシに何かをしようとした奴を張り倒していたって、
 似合わないことしちゃって…

 それにしても…まさか、この思い出にまで「5」が絡んでくるなんてね…
 思い出してみると…けっこうあるのね。
 そういえば…あれも「5」?
 五日だったもんね…
 ほんのちょっと、心の中で一歩を踏み出しただけで…もっと近寄れたのに。
 この絨毯の上を歩いてると、良く解かる。
 今、縮まっていってるのは心の距離だって。



















「むーっ」

 思わず声に出てしまったことに焦って、襖を見てしてしまう。
 襖の向こうの気配を探るけど…
 いないわね。
 アタシとしたことが、悩んだからって声に出すなんて。不覚。
 そんなことはどうでもいい。
 今はいかにして、シンジに告白させるか…
 昨日のアタシの誕生日にしてくれるかって、すっごく期待してたのに…
 アイツはパーティーが終わると後片付けに夢中になって。

『っとに、トウジ達は散らかしすぎだよ…』

 なんて泣き言をこぼしながらも、せっせと働いちゃってさ。
 アタシにはそれっきり構ってくれなかった。
 だから、期待していたようなイベントなんか勿論ない。
 手伝おうかと思っても…

『嬉しいけど、今日はアスカの為の日なんだから、いいよ。』

 なんて、一人でがんばっちゃってさ。
 その間、ずっと部屋で待ってたのに…アタシの部屋の前で少し様子を窺って、そのまま部屋に戻っちゃって。
 日付が変わるまで、アイツは一人で頑張っててくれたのよね。
 アイツが寝ても、もしかしたらって期待しちゃって寝れなかったし。
 なのに今日は今日でいつもと変わらない…
 アタシはシンジが好き。

「アスカ? どうしたの? うなり声なんか上げて?」

 首を絞められたことだってあるのに…なんでか解からないけど好き。
 そしてシンジも間違いなくアタシを好き。
 憎まれているって、思い込んでた時期もある。
 だけど、それはアタシが勝手に勘違いして、勝手に距離を作っていただけ。
 それが間違いだって知ったとき…アイツが優しいって、アタシにだけ優しいって知ることができた。
 それを理解したとき、アタシはシンジが好きだったということを理解した。
 シンジとなら、二人だけで居ても寂しくない。
 逆にシンジが居ないと…いくら大勢に囲まれていても、寂しくなってしまう。
 依存してるだけなのかもしれない、そう思ったときもある。
 そこから抜け出して、自立しないとって思っても…寂しさを埋める事が出来なかったから。

「アスカ?入るよ?」

 好きだって開き直ったら、色んなシンジが見えるようになった。
 昔と違って、結構男らしくなってたり。
 自分の意見を言うようになったり。
 いつでもアタシを優先させてくれる。
 そして、なにより…
 アタシにだけ特別な視線をくれるから。
 目が言ってるのよね。
 『大好きだよ』って。
 言葉にしてほしいのに…

「アスカ?」

 アタシがチョッとでも考え込んだりすると、心配げに…
 それも、ものすごく心配した顔で…
 そう、今も…って…えぇぇぇぇぇぇっ!!!???

「なっなによっ! アンタいつの間に人の部屋に勝手に!?」

「何度も呼んだのに、返事しなかったのはアスカだろ?」

 う…反論しづらいわね。
 またしても不覚…
 模様替えの一件といい、最近シンジにいいようにあしらわれてる気がする。

「何を悩んでたの?」

 原因がシンジだけに、反射的に睨んでしまう。
 なのにシンジは昔みたいにうろたえてくれない。
 それが余計に頭にくる。
 『アンタのせいよ、アンタが告白してこないからよ!』って、心の中でなら簡単に言えるのに。
 心に釣られる様にアタシの顔も俯いてしまう。

「秘密?」

 とぼけた様に微笑み、アタシに問いかけながら覗き込んでる。
 次に返される答えなんか分かってるかのように…
 だからアタシはそっぽを向くのと一緒に言い捨てる。

「そっ、乙女の秘密」

 最近のアタシの決めの一言。
 うぅうん、ちがう…これは逃げの言葉よね。
 こう言えば、コイツは追求してこないから。
 追求しないのは、酔っ払ったミサトの一言が原因。
 『女の子にはねぇ、い〜っぱい秘密があるのよ。だからね、きいちゃだめなのよぉ〜っ』
 そのせいで、シンジはそれ以上は訊いてこなくなる。
 確かに、本当に訊かれたくないし、聞かれたくないことなんかいっぱいある。
 だけど…ホントは問い詰めてほしい。
 アタシが逃げられないくらい出口を塞いで。
 逃げ場なんか部屋の何処にも…心の片隅にさえ残さないくらい。
 そしたら、素直に言えるから。
 きっと…怒って、喚いて、暴れてからようやく言うのよね。

「じゃぁ、訊けないね」

 苦笑いを浮かべながらそう呟くシンジを横目で見ると…、何故か寂しそうに見えた。
 アタシを心配して、って解かってるだけに胸が苦しい。
 だけど、そっぽを向いたアタシの顔は元に戻らない。

「じゃ、僕はもう寝るよ。おやすみ、アスカ」

 そのまま立ち上がるシンジを呼び止めたくて…
 でも、アタシはどうしていいか解からない。
 急にアタシの中から泣き声が響きだす。
 その声はどもって、詰まりながらもながらも大きな声で必死に叫んでる。
 アタシの方から告白すれば、簡単に済むのにって。
 だけど、できないわよ。
 ゴメンね、アタシの中の素直なアタシ。
 解かってるのにできない。
 悔しくなってくる。
 簡単なことができない自分に。
 目頭が熱くなってきて、鼻の奥で小さな痛みが疼いてる。
 もう少し我慢しないと…
 まだシンジが目の前にいる。
 だから泣けない。

 けど、その時はこなかった。

 シンジはボーっと何かを見つめながら突っ立ってた。
 その視線の先にあるものを不思議そうに見つめて。
 アタシの目もその視線の先を探して下がる。
 そこには、アタシの右手が…シンジのシャツの裾を握り、引き止めていた。
 震えるほど必死に。
 握り締めたシャツが破けて、手に食い込みそうななくらい。

「あれ?アタシ…なんで?」

 意思に反して…違う、アタシの素直な部分に命じられるまま。
 行かないで…って。
 だから、開こうと思っても、開いてなんてくれない。

「あ…アスカ?」

 シンジの声を切っ掛けに、堪えていた筈の涙が頬を冷ます。
 同時に、こみ上げてくる何かがその右手の勝手な行動を支持する。
 それがなんであるかってことに気付いたとき、アタシの堤防は決壊した。
 決壊したところから、いろんな感情が溢れて…その先はよく覚えてない。
 まるで駄々をこねる幼子みたいに暴れて、泣きながら叫んで、そんな記憶が僅かにあるだけ。
 きっとシンジのことも激しく罵ったりしたはずなのに…
 なのに、アタシを強く抱きしめてくれてた。

 取り押さえるようにでもなく…
  優しく抱いてくれているから。
 宥めるようにでもなく…
  身動きひとつ取れないくらい締め付けてくるから。

 それに気づいた時、抑えきれなかったはずの衝動は消え去ってた。
 シンジの腕の中で目を覚ましたような、そんな感じさえ伴うくらい。

「僕で出来ることならなんでもするから、そんなに悩まないでよ…」

 耳元に擦れた声が届いて…
 うなじに熱いものが伝っている。
 シンジの目から頬を伝って、アタシの首筋に流れてきてる。
 コイツも泣いるって、泣いてくれているんだって。

「なんでアンタが泣くのよ…」

「だって、アスカが大好きだから」

 答えになってないわよ…っていつもなら言うのに。
 その言葉が出ない。
 代わりにアタシの腕はシンジの首に回って、締め付けてる。
 欲しかったものがやっと手に入った。
 そんな充足感に満たされていく。
 突然のことなのに、それに驚きもしないで受け入れてる。
 満たされた余裕なのかもしれない。
 いつものアタシが、アタシらしい台詞とともに心の隅から顔を覗かせる。

「馬鹿、こんな時に言うのなんて、ムードってものがないじゃない」

「ごめん…」

 もっと、夜景の見えるレストランでとか…
 最高級ホテルのスイートルームでとか…
 そんな乙女の夢なんか無視して。
 でも、そんなアタシでさえ嬉しくて、喜んでる。
 だから、今度はアタシが応えてあげなきゃいけない。
 精一杯の気持ちを込めて…

「大丈夫よ、そんなアンタを好きなアタシも…馬鹿なんだから」



















 あと5歩。

 ここまで近づくと、シンジの顔が引き攣ってるのが良く見える。
 緊張して引き攣ってるのかと思ってたら…違うわね。
 嬉しくて緩んじゃう頬を必死に引き締めてるだけ。
 っとに…
 ま、このアタシを花嫁にできるんだから、解からなくもないけど。
 まぁ、小さい会場で、人を選んで。とは言っても、やっぱり何処ぞの偉い人っていうのは混じっちゃってるから。
 真面目な顔をしなきゃいけないってのもある。

 あと3歩。

 シンジの顔を上目遣いに眺める。
 コイツってば、アタシよりも遥かに大きくなっちゃって。
 出会ったころは、アタシの方が大きかったってのに。
 さっきの思い出の中でのコイツだって、こんなに大きくなかったわよ…
 さらに伸びちゃってさ…



















 恋人同士だって言うのに、シンジは何故かアタシの後ろを今まで通りに歩く。
 それも以前にも増して距離は開いてる。
 理由は簡単。
 突然伸び始めたアイツの身長は、歩幅を大きく変えている。
 アイツの3歩はアタシの5歩。
 あの頃は、身長はアタシの方が僅かに大きかった。
 歩幅に至っては、この見事なアタシの脚の長さもあるのだから、もちろん広い。
 その歩幅を以ってしても、シンジの3歩にしか過ぎない。
 無理すれば…出来なくはないけど、スカートを捲る様な勢いで脚を振り出したりなんかしてたら…ホントに見せちゃうじゃない。
 ので、却下。
 幸い、コイツはアタシの速度に合わせて、ゆっくり歩いてくれるから問題はない。
 だが、問題はそんなことじゃないっ!

「シンジっ!」

 声にめいいっぱいの不機嫌を乗せて、振り返りながら呼びつける。
 これも…ずっと前なら、こうやって呼びつければ窺うようにアタシを覗いてたのに。
 今じゃニコニコしながらアタシを見てる。
 なんていうか…それも悪くないんだけど。
 こんな可愛い彼女をなんだって一人で歩かせたりするのよ、っとに…

「なんでそんなに離れて歩いてるのよっ!」

「三歩後ろをって言ったのは、アスカだろ?」

 そんな過去のことをいつまでもネチネチと…女の腐った奴じゃあるまいしっ!
 可愛い彼女の隣で手をつないで、なんてことをコイツは考えたりしないの?
 まぁ…されたらされたで、アタシが恥ずかしいけど。
 そんな事を思いながらも睨み付けるアタシの視線をあっさりと微笑みのままかわす。
 今日に限って言えば、それが余計に頭にくる。
 そして、それを抑えてくれるブレーキ役のヒカリも今日はいない。

「3歩以上離れてるじゃないっ!」

「え?3歩だけど?」

「アンタとアタシの歩幅を考えなさいよっ!」

 なんて…膨れて見せても、コイツは微笑を崩さない。
 アタシがどう言ったところで、コイツはこの距離を崩すつもりはない。
 わけなんか解らないけど、これにだけは意固地になって従わない。
 そんなアタシに近寄り、開いた右手で頭を撫で始める。

「はいはい。さ、遅刻しちゃうよ?」

 子供のように扱われてるにもかかわらず、撫でられ、近くにいるっていう事に、アタシの心はさっきまでの不機嫌を忘れて喜びはじめる。
 同時に周りからの視線を感じ、恥ずかしさもこみ上げてくる。
 わかってる。
 傍から見てれば、痴話喧嘩にもならない…ただ、アタシが寂しくて甘えてるようにしか見えないって。
 実際、その通りなのかもしれない。
 いつでも、コイツの空気を傍に感じていたいだけだって。

「3歩でもなんでもいいわよ…ただしっ!アタシの歩幅でよっ!」

 コクリと頷くシンジを見届けてから、アタシは不機嫌を装いつつも学校に向かい歩き始める。
 約束どおり、後ろから聞こえる足音はいつもより大きい。
 聞こえるはずもないシンジの息遣いを感じてしまう。
 そんな些細なことが、アタシの頬を緩めてしまう。
 小さな喜び、小さな幸せ。
 よく聞く言葉だけど…実感できる。
 それの積み重ねが、大きな喜び、大きな幸せになるんだって。
 一足飛びに手に入れようとしていた、昔のアタシ。
 我ながら…少しは大人になったのかもしれない。

「おはよっ アスカ!」

「おはよ〜」

 クラスメイトが、アタシの脇を駆け抜けながら、掛けてきた声に応える。
 きっと今のアタシの顔はいつになく上機嫌に見えるのだろう。
 それを証明するように、学校近くの歩道橋を渡り終える頃には、いつもより多くの挨拶の声がかけられてる。
 アタシの機嫌はさらに良くなる。
 自分でも単純ってことを否定できないくらい。
 たまには二人だけでっていうのも、悪くない。
 とあることを思い出せずに。
 ヒカリがいないと言うことは、余計な虫を呼び寄せてしまうってことに。
 目の前で、俯いたまま両手を頭上に差し出すお決まりのポーズと、その手にあるのはお約束の手紙。
 さらに、辺り一帯に響き渡る大きな声で「お願いします!」
 確かに交際宣言とかはしてないけど、見ればわかるようなシンジとの関係を勘違いした馬鹿。
 こんな奴相手に時間を奪われるのは苛つく。
 せっかくの良い気分が害されるのも手伝い、アタシはいつも以上に冷たく無視することに決めた。

「付き合ってくださいっ! お願いしますっ!」

 鞄でその手を叩き、力でアタシの前から退かせるが、この男はよろめき、たたらを踏みながらもアタシの前に再び立ちふさがる。
 挙句に、アタシの恫喝にさえ恐れることなく、顔を上げ話し始めたのだ。

「僕は碇より、惣流さんを幸せにする自信があります!」

 さらに、脇を抜けようとするアタシの腕を掴んで引き留める。
 その強気な態度に我慢の限界を感じた瞬間…

「だから僕…ひっ…」

 自信ありげに話し出したはずの男の言葉が、急に途切れた。
 そして、その面にあったはずの強く映し出されていた自信は急激に失われ、恐れに変わっていく。
 わかる…この男はアタシを恐れているんじゃない。
 さっきまでのこの男の目には、いくらアタシが実力行使に出ても受け取るまでは引かない…そういう意思が感じれたから。
 だが、そんなものは今のコイツからは感じられない。
 そして、アタシの後ろにその視点がある。
 意識を急速に自分の後ろに集められていく。
 冷たい、殺気にも似た気配。
 それまでアタシの周りにあった、暖かい空気なんか感じることが出来ない。
 ずっと前にも…感じたことがある。
 アタシの体は、その気配に誘われるまま振り向いてしまう。

 そこには、アタシの見たことのない…知らないシンジが─
 ほんの一瞬だけしか見れなかったけど、ファーストを髣髴させるような… 冷たく人を射殺すような視線をアタシの後ろに投げかけて
 ─いた。

 一瞬の時の流れが、ゆっくりとしたものに変わる。
 視線がアタシに向けられると同時に、シンジの体から放たれていた冷たい気配が消える。

「…シンジ?」
 もしかして…アタシは見てはいけなかった?
 見てほしくなかったの?

 アタシの後ろから、小さな悲鳴と足音。
 そんなものは、どうでもいい。
 細められていた目が大きく開き、引き締められていたシンジの口元が緩み、ゆっくりと開いていく。
 その顔は驚いてる様にも、泣いてる様にも…小さな子が、悪戯を見咎められたみたいに。
 見られたくなかったって…
 そして、悲しみの色がシンジを染め上げていく。

 突然、時の流れが元に戻ると、シンジがアタシに背を向けて走り出す。

「シンジっ!」

 呼んだって止まるはずなんかない。
 逆にシンジの速度はさらに増していく。
 無意識で追いかけるために走り出したアタシとシンジとの差がそれを証明する。
 見失ったらダメ。
 そしたら、終わっちゃう…何故か、アタシはそう思ってた。
 鞄を放り出したのは、もういつの事かも覚えていない。
 何度か見失いかけながらも、ただひたすら追いかけ続けてた。
 角を曲がるたびに、その背中を見る時間が減っていく。
 そして最後に見失った…そう感じたとき、辿り着いたその場所に気づいた。
 あの思い出の公園。
 斜面に張り出すように作られた公園は、入り口からでは階段が邪魔をして、中を見ることはできない。
 多分シンジはココで立ち止まる。
 理屈じゃなく、何かがそう確信させる。

 運動不足よね、これしきのことで息が上がっちゃうなんて。
 シンジに追いつけないどころか、見失うくらい離されちゃうなんて。
 深呼吸を繰り返し、ゆっくりと呼吸を整える。

 あの時、シンジが追ってきたのは、憐れみよね…間違いなく。
 言わないけど…当時のシンジがアタシに好意を持っていたなんて思えない。
 だけど、追ってきてくれただけで…アタシが見捨てられてないって思えて、嬉しかった。
 そして今、立場を入れ替えてココに来た。
 今アタシが追いかけてきた理由は…アタシ自身の為かもしれない。
 シンジがアタシの傍から居なくなっちゃうような…その不安から逃れたかっただけ。

 走って乱れてしまった髪を、軽く撫で付けて整える。
 汗で張り付いた前髪が少しうっとおしいけど、今は我慢。

 シンジが逃げた理由…多分だけど分かる。
 あの冷たい気配に、驚いて…そして呆けると同時に、アタシが怯えてしまったから。
 意識したわけじゃない。
 でも、怖かった。
 シンジがあんな風に…
 そして動揺したアタシを見て、嫌われたと勘違いした…
 この推理に間違いはないはず。
 だけど、今日に限って何故?
 今までだって、告白してきた無謀な奴は…?
 目の前の階段をゆっくりと上りながら思い出す。
 そっか…そういうことか、
 シンジが付き合い始めてからも後ろを歩いてたのは…
 アタシに知られたくなかったのよね。
 付き合い始める前も、こういうことがあったのに、アタシの前に回りこめるような奴は居なかった。
 今日みたいに、回り込もうとする気配があっても、実際に行動に移す前に小さな悲鳴を残して…

 階段を上りきると、小さな公園はすべてを見渡せる。
 ブランコと砂場、ベンチだけ。
 そのベンチにはアタシが来たことにも気づかないままシンジが座ってる。
 頭を両手で抱え、震えるその背中は昔のコイツと変わりなく小さく見える。
 足音に気付きもしないほど、自分の世界に閉じ篭っちゃって。

 前に…言ってたわね。
 っていうか、アタシが白状させたんだけど。
 アタシの後ろ、今よりも少し離れた所を歩いてたって。
 今日みたいに睨んでたのよね、きっと…
『私も惣流先輩みたいに…』
 って、あの子の言葉がそれを証明してる。
 そっか、どっかであの気配に覚えがあると思ったら…あの時ね、

 真後ろに立っても、シンジは気付きもしない。
 ただ、声を殺して泣いてるだけ。

「馬鹿シンジ」

 急に掛けられた声にビクって背中が震える。

「…こないで…」

 声を出せないほど震える胸を押さえつけて、無理矢理言葉を紡ぎ出す。
 もちろん、アタシがそんなのに従うつもりはない。

「イヤ」

 晩御飯のおかずに文句をつけるみたいにその言葉を拒否して、そのまま前に回りこむために歩を進める。

「…こんな僕が、アスカの傍に居ちゃいけないんだ…」

 たったこれだけの言葉を出すためだけに、大きく息を吸い込んでる。
 そんな泣き方をこの歳になってしちゃうなんて…
 男はみんな幼稚っていうけどね…

「なんでそう思うのよ?」

 シンジの前でしゃがんで顔を覗き込むと、涙を堪えるためにその目はぎゅっと閉じられてる。 
 だから、コイツはアタシがどこに居るかなんて、気付いてない。

「だって、変わってなかったんだ…僕は汚くてズルくて卑怯な、気持ち悪い男のままなんだ…」

 チクリと胸が痛む。
 『気持ち悪い』アタシがシンジに向けて放った言葉が、今でもコイツの中に燻ってるって。
 あの日々を思い出したことで、それが心を負の方向に傾けさせてる。
 解ってないわね…もう、あの日々のアンタじゃないって事。

「…アスカに、あんな顔をされるなんて…」

 優しくしてほしいなんて、ただ願って何もしない男じゃなくなってるって。
 アタシに優しくしてほしいって、それだけの為に、コイツはどれだけの事をしてきたのか解ってない。
 自信がないのよね…

「僕は最低だよ! きっと、僕はアスカを傷つけることしかできないんだよ!」

 だからこうやって、今度は自分を責めてる。
 内罰的な所は変わってない。
 思い込みが激しいところも…

「だから、こんな僕は…」

 シンジの頬に両手を添えて、無理矢理引き起こし、その後に続くはずの言葉を遮る。
 聞きたくないから、二回も同じ台詞を聞きたいなんて思わない。
 コイツはアタシが目の前に居るなんて、ホントに気付いてなかった。
 その証拠に、開かれた目は涙を溢れさせながらも、驚きを映し出してる。

「ばぁか、今頃気付いたの?」

 言われたアタシが悲しいなんて、少しも思ってないんだから…
 こうやって、いまだにアタシを傷つけてるって、気付いてないんだから。
 アタシの心を無視してるって、

「アンタに傷つけられたのなんか、出会った頃から何度あると思ってんのよ?」

 内罰的になりすぎて、人から許されることを考えてない。
 昔みたいに、ゴメンって言ってた頃のほうが、まだマシなのかな?

「今更、そんなこと気にするわけないじゃない」

 シンジの視線がアタシの目に問いかけてる。
 良いの?
 許してくれるの?
 嫌いにならないの?
 こんな僕が傍に居ていいの? …って。

「それにね、アンタは女心を知らなさすぎよ?」

 問いかける視線に頷きながら、アタシは口はシンジを責める。
 言葉で責めながら、目で許容する。
 『千の愛の言葉より、たった一度の口付けに勝るものはない。』
 どっかの誰かの言葉。
 今のシンジに必要なのは…

「男を独占したい女ってのはね…」

 涙で濡れた唇を優しく吸うと、舌に涙の味が染み込んでくる。
 唇を離すと、空気が隙間を抜ける音。

「男に独占されたいから、するのよ」

「…ごめん」



















 今もコイツが内罰的なとこは、変わってない。
 それどころか、独占欲を前にも増して、表に出す。
 だけどアタシはそれが嫌いじゃない。
 アタシが望んだことだから。

 シンジの目の前に、ようやく辿り着く。
 あの日のシンジとは違って、その目には自信が溢れてる。

「シンジ君、アスカを頼んだぞ」

「はい」

 加持さんが、肘に掛けたアタシの手を外して、シンジの手へと導いてくれる。
 バージンロードは…これまで人生を父親に守ってもらいながら、歩いてきた道。
 そして、これからアタシは目の前に立つボケた奴に守ってもらうことになる。

 色々と思い出してみると…やっぱりアタシの人生はシンジと出会ってから始まった。
 結局、思い出したのだってシンジとの事ばっかり…
 コイツが居なかったら、アタシの人生に色は無かったって事なのかな…
 今日くらいは、感謝してあげても良いわよ?
 だからアタシはお返しに意地悪してやる。

「ふーん…アンタがアタシの旦那になる男ねぇ…」

 わざとらしく上目遣いに覗き込む。
 コイツは覚えてるかしら?
 初めて出会った時のことを…

「そのつもりなんだけど…」

 自信無さ気な口調と裏腹に、コイツは笑顔のまま右肘にアタシの手を導いていく。
 いつの間にかにこんな余裕まで身に着けちゃってさ、
 舌をほんの少し出して、その生意気さに文句をつけてやる。
 きっとこれで、アタシの想いは通じたはず。
 これからまた始まるんだよ?って…

「冴えない奴ね」







はい、50000hit記念一番乗りのしふぉんさんの『5』でした☆
いやぁ、読んでて身悶えたSSは久しぶりかもしれないですねw
ちょこっとギャクみたいなものも入りつつ、シリアスな部分もきちんと表現されていて、ホント楽しかったです。企画参加ありがとうございました。次回参加も期待してますよw
感想などがありましたらじゃんじゃんメールしちゃって下さいねー。

あ、ちなみに企画参加者は随時募集してますw 参加したいとか思った方はsonoraまでメールお願いします。

モドル