
「はぁ? あるわけないでしょそんなもの」
リビングでごろんと横になったアスカは、雑誌を読みながら僕の方すら見ずにそう言ってのけた。
明日は2月14日。Saint Valentine’s Day。日本では「女の人が好意を持っている男性にチョコをプレゼントする日」・・・・って言ってて何だか恥ずかしくなってきたけど。
僕とアスカが付き合い始めたのが、去年の僕の誕生日で、だからこれが付き合って最初のバレンタインデーだったんだけど。
「何悲しそうな顔してんの?」
「だってアスカ、バレンタインデーだよ?」
「だから何よ」
「普通なんかあったりするんじゃないの?」
僕がそう言うと、大体ねー、と言いながらアスカは体を起こした。
「シンジ、バレンタインデーの意味分かって言ってるの?」
「だから女性が男性にチョコレートを贈る日・・・・・」
「はぁ・・・その前提から間違ってるわ。じゃあ何でそういう習慣が出来たか知ってる?」
「知らないよ。僕が生まれたときからずっとこうだよ」
「たかだか14年続いてるからって、それがずーっと前から続いてるとは限らないわよ。ホントバカね」
「なっ・・・そこまで言われる筋合いはないよ」
「へぇ? シンジってば自分のカノジョに『筋合いはない』なんて言うのね? あー知らなかった。シンジがそこまで心の冷たいヤツだなんて」
「・・・アスカ、どうでもいいけど棒読みだよそれ」
「どうでもいいならツッコまないでよ」
「何だよ・・・じゃあ何て言えばいいんだよ」
「素直に『教えてください』くらい言えば? 知らないんでしょ、バレンタインデーのこと」
「ったく・・・教えてくださいっ」
投げやりに言ったつもりだったけど、どうやらアスカはそれで満足したみたいだった。
後ろに手をついて足を伸ばして右手で「1」を作ると、アスカは滔々と語りだした。
「バレンタインデーの歴史は、ローマ帝国の時代にさかのぼるわ。当時、ローマでは、2月14日は女神ユノの祝日だったの。ユノはすべての神の女王であり、家庭と結婚の神ね。んで、翌2月15日は、豊年を祈願するルペルカリア祭の始まる日だったわけ。そうそう、当時若い男たちと娘たちは生活が別だったのよ。だから、その祭りの前日に娘たちは紙に名前を入れた札を桶の中に入れて、翌日、男たちが桶から札を1枚ひいたの。ひいた男と札の名の娘は、祭りの間パートナーとして一緒にいることと定められていて、多くのパートナーたちはそのまま恋に落ち、そして結婚したってわけ」
「くじ引きで決まってたのか・・・」
僕がぽつりと呟くと、アスカは頷いて答えた。
「そういうこと。で、ローマ帝国皇帝クラウディウス2世は、愛する人を故郷に残した兵士がいると士気が下がるという理由で、ローマでの兵士の婚姻を禁止したの。でもそれはあんまりじゃない? そこでキリスト教司祭だった聖バレンタインが秘密に兵士を結婚させてたのよね。だけどそれがバレて捕らえられて、結局処刑されたの。処刑の日は、ユノの祭日であり、ルペルカリア祭の前日である2月14日があえて選ばれたのよ。バレンタインはルペルカリア祭に捧げる生贄になったってことね。このためキリスト教徒にとっても、この日は祭日になって、恋人たちの日となった・・・これが大まかな歴史ね」
「すごいねアスカ。こんなこと良く知ってるね」
「伊達に大学卒業してないわ。ちなみに、日本に進駐していたアメリカ陸軍のバレンタイン少佐が1946年2月14日、子供たちにチョコレートを配ったことから2月14日をバレンタインデーと呼ぶようになったって説もあるけど、実際にはそのような事実はないのよね。一種の都市伝説ってとこかしら」
「へぇー」
感心する僕をよそに、アスカの『バレンタインデー講義』は続く。後ろについていた手を右手に変えてから、アスカは続けた。
「まぁ、これでバレンタインデーが恋人達の誓いの日になったんだけど、これも世界でいろんな祝い方があるの。ヨーロッパだと花やケーキ、カードなどを恋人に贈る習慣があるけど、日本とは違って、女性から男性のみとは限らないしね。これくらいはアンタも知ってるでしょ?」
「うん、聞いたことある」
「チョコ一色になって騒いでるのなんて日本だけよ。本命チョコとか義理チョコとか、頭おかしいのよ全く」
「そこまで言うことないと思うけど・・・・」
「あるわ。アンタもいっぺん日本以外で生活してみたら? そしたら分かるわよ」
「そう簡単に出来ないよ」
「ドイツ支部留学とか。それなら簡単に出来そうじゃない」
「無茶言うなよ。ドイツ語なんて全然わかんないし」
「バームクーヘン?」
「そうそう・・・って、それは忘れてよ・・・・」
「え? あれ冗談じゃなかったの?」
「冗談なんて言ってられる状況じゃなかったじゃないか・・・使徒来てたんだし」
「・・・あっきれた。アンタホントにバカだったのね」
「うるさいなぁ・・・・で、続きは?」
「ちっ、誤魔化したか」
「何を誤魔化すんだよ・・・・」
「・・・まぁ、いいわ。問題の日本のバレンタインデーだけど・・・・シンジ、2月に売れるものって考えたとき、何を思い浮かべる? チョコ以外のものね」
「2月? えーっと・・・・」
2月って言われるとチョコしか思い浮かばない。他に行事もないし、まだ卒業シーズンじゃないし・・・敢えて言うなら受験シーズンだけど、だからって特に何かが売れるってこともないし・・・。
たっぷり1分考えて、結局僕はそのまま降参した。
「ゴメン、わかんないや」
「やっぱりね。いーいシンジ? 日本のバレンタインデーがあるのはそこなのよ」
「そこってどこ?」
「だから、2月に行事が何もないでしょ? そうするとお店とかデパートとかであんまり商売にならないじゃない。だからこの行事を担ぎ出して商戦をあえて仕掛けたってことよ。要するに、企業の手に乗せられてるってことね」
「あー、なるほど!」
思わずぽんと手をついた。
小さな行事でも持ち上げて、それでセールに繋げる。ずる賢いけど、今じゃそれが定着してるんだから、なかなかのものだよね。
「ってなわけで、アタシはその手には乗らないわ。だからバレンタインデーは何もナシ」
「あ・・・まぁ、そう言われると納得するしかないけどさぁ・・・・」
「別にいいじゃない。イベントがなかったら一緒にいられないわけじゃないし」
「そりゃそうだけど」
四六時中一緒にいるんだもんなぁ、僕たち。
でもだからこそ、何か変化を付けたいって思うんだけどな。
・・・・これって僕が夢を見すぎなんだろうか。
「それに、明日はシンクロテストでしょ? アタシはないけどね」
アスカの一言でぐーっと現実に戻されてしまった。
僕らは一介の中学生であると同時に、エヴァのパイロットでもある。汎用人型決戦兵器。得たいの知れない敵、使徒と日々是決戦ってやつ。
はぁ、と大きなため息をついた僕の肩をとんとんと叩くと、アスカは1人で部屋に戻ってしまった。
テストが早く終わっても人が溢れてるって分かってる日に出かけるのは嫌よ、と僕にさらなる追い討ちを掛けて。
そんなわけで翌日のテストは散々だった。いつもやってることなのに、こういうときに限ってシンクロ率が低下してるからとか言われてテストが長引いちゃったし。
「ただいまぁ・・・・」
もしかしたらかすかに甘い匂いが漂ってたりしないかな、なんてクンクン匂いを嗅いでみても何の変化もない。何だか必至な自分に呆れてきた。
僕が間違ってるのかな、やっぱり。
「おかえりー」
リビングでテレビを観ているアスカもいつも通りの格好で、いつも通りくつろいでいる。
「夕飯は?」
「もう食べちゃった。シンジおっそいんだもん」
「うん・・・ゴメン」
「ミサトは?」
「リツコさんと呑みに行くってさ」
「こんな日に? 人ごみの中に飛び込んでいったわけ? うわ、信じらんないっ」
そんなに人ごみが嫌いなのかな・・・・そんなことを思いつつ、何種類か常備されているカップ麺を棚から選ぶ。そういえば、今日の食事当番はミサトさんだった。
「逃げたな、ミサトさん・・・」
「え、何?」
「今日、ミサトさん食事当番だったんだよ。だから逃げたって思っ」
『てさぁ』と続けるつもりだったけど、予想外の展開に僕の口は固まってしまった。
ペタペタっていう足音は聞こえてたけど、誰もこんなことするって思わないよね。
背中に感じる柔らかい感触、ふわっと香った甘いシャンプーのにおい。後ろから回された白い腕は僕のおなかのあたりにきゅっと絡みついている。
「ああああすか・・・」
「ん、何?」
いつもより甘ったるくて、滅多に聞けない声。
アスカはずるい、そう思った。だけどここから逃げることなんて僕には出来ない。
と、くすくすと小さく笑う声が後ろから聞こえた。
「何固まってるの?」
「だだだって、きゅ、急にこんなことされても・・・・」
「じゃあ許可があればいいの? ホントバカね」
アスカが後ろで小さく笑い続けているのが分かる。
どうしようもなくなってふと目線を下に逸らすと、アスカの手に何か握られているのが分かった。
「アスカ、これ・・・」
「ん、あぁ、コレね」
アスカは僕を解放するとそのまま振り向かせて、手に持っていた包みを僕に押し付けるように差し出した。
「ん」
「え」
「欲しかったんでしょ? コレ」
「・・・もしかしてチョコ?」
「そう」
言葉は素っ気ないかもしれないけど、微笑みながらそう言って包みを差し出すアスカに、いつもの勝気な雰囲気はまるでない。
もらえると分かった途端にテンションが一気に上がって、現金なやつだな、と自分で呆れた。
差し出されている包みを受け取って、
「あ・・・・ありがとう・・・あの、お返しは」
ちゃんとするからね、と言おうとすると、先にアスカが言った。
「いいわよそんなの」
「え?」
「アタシがあげたくてあげたんだから。お返しなんて別にいいの。だって何か嫌じゃない? お返し期待してモノをあげるなんて」
「あ・・・いや、そうだけど」
「でも、くれるんなら、もらってあげてもいいわよ?」
くれるんなら、のところにアクセントを置いてアスカは言った。
そう言われたらあげるしかないじゃないか、と思った。
その後で、もらってあげてもいいっていう言い方は、やっぱりアスカだな、と思った。
「うん・・・ありがとう」
「いいってば」
「うん・・・・」
「さてっと・・・じゃアタシお風呂入ってくるから」
「あ・・・・えぇ!? いやアスカそれは僕らにはまだ早」
「バーカ。何勘違いしてんの? ただ入るだけよ」
にやにやと笑いながら僕を見るアスカは、すっかりいつものアスカで。
「べ、別に勘違いなんて」
うろたえながらそう答える僕もまたいつも通りだった。
結局あの後もいつも通りで、甘さ3割増しのアスカは見られなかった。多分、この先もそんなに見られないような気がする、なんとなくだけど。
だとしたらあの時のアスカも、バレンタインデーの雰囲気に飲まれちゃったのかな、なんてことを考えてみたりして。
「ちょっとシンジ! さっさとしなさいよ、置いてくわよ!」
「あっ、ちょっと待てってば」
そしたら、ホワイトデーに期待してみてもいいのかな、なんて思ってみたりする。
ほわほわと甘い幻想を頭の中で膨らまし始めた僕にアスカは言った。
「何ニヤニヤしてんの? やっぱり変態なんじゃないの?」
モドル