わたあめの雲

「わたあめ食べたい」

『現在の気温は31度。今年1番の暑さですね! 明日もこのままの暑さが続きます。熱中症にはくれぐれもお気をつけ下さい。お出かけの際には帽子を被ることをおすすめします』

 ニュースとアスカの声が、食器を洗っていた僕の頭の中で一緒くたになり、「わたあめの気温は31度で帽子が食べたい」となってしまった。さすがに疑問を感じた僕は、1度手を止めてアスカに尋ねた。

「アスカ、何だって?」

「わたあめ食べたい。今日は暑いんだって」

「あ、そう」

 僕は再び食器洗いに戻った。
 すると、ぺたぺたとフローリングの上を歩く足音が聞こえた。あぁ、アスカがまた文句言うつもりだな、と思った次の瞬間、僕は驚きで動けなくなった。
 後ろから、僕の腰のあたりにぎゅっと絡みついた白い腕。
 背中越しに聞こえた、いつもよりも甘い声。

「わたあめ食べたい」

 油の切れたロボットのごとく、ぎぎぎ・・・と首を回した僕にとどめが刺された。
 左肩のあたりから顔をのぞかせ、青い瞳の上目遣いで。

「ねっ、ダメ?」

 また負けたな。そう思った。
 アスカは僕の弱点を的確についてくる。
 今度こそ流されないぞ。いつもアスカに負けたあとに誓うその言葉は、今日も役に立たない。

「分かったよ、これ洗ったら行ってくるよ」

「やった! ありがとシンジ!」

 満面の笑みでそう言われただけでも破壊力満点なのに。

「大好き」

と、囁かれてしまっては、もうどうすることもできない。
 やっと動くようになった体を動かして、腕を広げて抱きしめようとすると、アスカはひょいと後ろへ逃げた。
 僕には抱きしめさせてくれないの? と切ない気分一杯でアスカを見ると、

「泡のついた手じゃ嫌」

 さっきの甘さとは一転し、普段どおりの態度でアスカが言った。



Cloud of ワタアメ
written by sonora



 洗い物を済ませてから、わたあめの入手経路について考えた。
 わたあめ、と言えば、お祭りで売っているアレだ。キャラクターの絵のついた大きめの袋に2玉入って500円くらい。
 でも今日はこの近辺でお祭りをやる予定はない。大体、今日は水曜日だ。ということは、僕は大きめのスーパーまで買出しに行かないといけないことになる。

「ねぇ、アスカ」

 洗い終わった食器を棚にしまったあと、僕は言った。

「何でいきなりわたあめなのさ?」

 居間のソファの上に寝転がっていたアスカは、

「だって雲がわたあめみたいなんだもん」

と無邪気に答えた。
 言われてみれば、真っ青な空には白くて大きな入道雲が浮かんでいる。そこからわたあめを連想するのは簡単だった。
「あのさ、言いにくいんだけど、アスカが思ってるようなわたあめは売ってないかもしれないよ」

「え、何で?」

「お祭りのわたあめ想像してるだろ? ああいうのはお祭りがなければ売ってないと思うんだ」

「えーっ、うそーっ」

「僕に言われても・・・」

「ちぇー、あのおっきなわたあめを独り占めするのが好きなのに」

「ひ、ひとりじめ・・・?」

「そうよ?」

 僕が買いにいくのに、僕に分けるという選択肢はアスカにはないらしい。それでもそれをアスカらしいと思うのは、あばたもえくぼ、というヤツなんだろうか・・・うーん、ちょっと違うかもしれない。

「まぁシンジ、ちょっと落ち着きなさいよ」

「落ち着いてるよ。で、何?」

「ふふっ、じゃーんっ!」

 アスカが得意げに広げたのはとあるスーパーのチラシだった。『店外夏祭り開催!』という赤い文字の下に、たこ焼きやら焼きそばやらの絵が描かれている。そしてその隅に、僕は小さいわたあめの絵を見つけた。

「いくらアタシでも、何の計画もなくわたあめだなんて言い出さないわ」

「あ、そう」

 ふふん、と得意げなアスカの思考パターンは読めていた。
 つまり、雲を見てわたあめが食べたいと思う。でも僕にお祭りのわたあめは売っていないと言われる。そして、なんとなく目を落とした先にチラシを見つけて、さも前もって計画していたように口に出した、とこういうわけだ。
 アスカのおねだり攻撃だけは未だに読めないけれど、他のことなら今の僕でも6割くらいは読めるようになった。

「それ、どこのスーパー?」

「えーっとね・・・えーっと・・・・・えーと」

 左手にチラシを持ったアスカは、右手の人差し指で耳の上あたりを掻いた。
 きっと、チラシを見つけたまでは良かったけど、ここからは遠くて行けない店でしかやってないことに今気づいたんだろう。
 さっき天気予報のお姉さんが言ったとおり、今日は真夏日だ。そして僕らは車も免許も持っていない。ここから導かれる結論は「近くじゃないんなら、行くことはできない」だ。昔のアスカならともかく、今のアスカは僕に対してあんまり無理を言わなくなった。遠慮してるわけじゃなくて、それが自然体になったみたいだ。
 というわけで、僕は言った。

「・・・・残念だったね」

「ちょっと! アタシまだ何も言ってないわよ!」

「お店遠いんだろ? それとも、電車かタクシー使ってまで食べたい?」

 そう言うと、アスカは首を横に振った。一瞬のち、そこまで欲しくないわよ、子供じゃないんだし。と付け加えた。
 昔のアスカなら買いに行かせたくせに。少し楽しい気分でそんなことを考えたけど、それを口に出すことはない。僕らの「昔」は楽しい思い出にするには重過ぎるものだし、今のアスカの状態で口に出したらどうなるか分からないから。
 アスカは丸くなった。確かにそうだ。喜怒哀楽がはっきりしていて、無邪気でおてんばで優しくて・・・・容姿を別にすれば、どこにでもいる女の子になった。でもやっぱり、どこかに脆さと影を抱えている。それが表に出てしまいそうなとき、アスカは普段より甘えん坊になる。僕に甘えてみせることで、ほんの少しのワガママを言うことで、僕に悟らせないようにしている。多分、無意識に。
 何度も衝突して何度も仲直りすることで強くしてきた僕らの絆の中には、そういう危うさもあるのだ。

「今度お祭あったら、たくさん食べたらいいよ、わたあめ」

「そうする。でもあれって、そんなにたくさん食べれるものだったかしら」

「人によるね」

「そうね、確かに」

 ソファの上に座ったまま、アスカは静かにそう言った。青い目は空に向けられていて、少しつまらなそうな顔をしている。
 僕以外の人が見れば、それはごくありふれた風景だ。でも僕はこう思った。儚くて、いつ消えてもおかしくない幻に似ている、と。

「・・・何よ急に」

「こうしたくなったから」

「ヘンなシンジ」

 アスカが消えちゃいそうで怖かったんだよ。
 昔の僕なら正直にそう言ったと思う。でも僕は言わなかった。言わなくてもいいことなんて、世の中にたくさん溢れている。
 ソファに座ってアスカを抱き寄せたまま、テレビのリモコンに手を伸ばして電源ボタンを押した。バラエティ番組の雑音がなくなって、部屋が急に静かになった。
 テレビを消したのはなんとなくだ。他意はない。でもアスカはそこに意味があると思ったらしく、すっと僕の腕から逃げ出した。腰に手を当ていつものポーズで、

「時と場所を考えなさいよね」

 少し赤くなった顔で、そう言った。




 真っ暗な部屋で、僕は目を覚ました。ケータイで時間を確認したら、1時を少しまわったところだった。

「起きちゃった?」

 本来なら横から聞こえてくるはずの声が上から降ってきたので、僕は少し驚いた。

「いや・・・大丈夫だよ」

 覗き込んでいるアスカの顔に元気がないことを、僕は見逃さなかった。僕のボキャブラリーは相変わらず貧相だけど、何か言わなきゃいけないと思った。

「大丈夫だよ、アスカ」

 さっきの「大丈夫」と今の「大丈夫」。その意味が違うことは、どうやらアスカに通じたようだった。

「そうね。大丈夫よね」

 そう言って、アスカは小さく頷いた。
 僕らの絆はすごく強くて、けれども危うさも秘めている。でもきっと大丈夫だ、と思えるのは、

「うん、好きだよ、アスカ」

「・・・アタシも、好きよ」

僕はアスカが好きで、アスカもきっと僕のことを好きでいてくれるからだ。






勝手にあまあまシリーズ第3弾。
若干筆がのるようになってきたので、勝手に復帰第1弾ってな感じでしょうか。
どんなに強い絆だったとしても、壊れる日が来るかもしれない。それを壊さないでいるためには、やっぱりお互いの想いが重要。
今回言いたかったのはそのあたりです。


モドル